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 まずツバサはそもそも人間ではなく、スカイランドに暮らすプニバード族という鳥類である。プニバード族は鳥なのに飛ぶことができない代わりに、人間に化ける能力を持っている。

 飛べない鳥であるツバサが幼少期にいじめられたエピソードは、彼のある種の「障害」と「男性性の欠損」が結びついていることを示唆する。逆に、プリキュアになって飛べるようになることは、「プリンセスを守る騎士」という旧来的な男性的アイデンティティを彼に与える。

プリンセスのエルちゃんを守る騎士であることがツバサのアイデンティティになっていく 公式サイトより

 対してバッタモンダーは、悪辣さや有毒性がいつになく際立っていた今作のヴィランの中でもとりわけそういった性質が強調されている。表面ではクールに振る舞う彼の「心の声」はどこまでも醜い。

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 だが、プリキュアに敗北した彼は帝国に戻ることができず、「枯葉」のようになってこちらの世界でバイトをしながらその日暮らしをすることになる。

 バッタモンダーの問題は、アンダーグ帝国の能力主義を内面化し、そこから彼自身が逃れられないことにある。それは、ある特定の能力(強さ)を規範とするような男性性から逃れられないことでもある。彼がそこから解放されるエピソード43に、筆者は胸が熱くなったことを告白する。

プリキュアに敗れた後、人間の世界でアルバイトをしながら暮らすバッタモンダー プリキュア公式サイトより

私たちの多くはツバサよりはバッタモンダーに近いかもしれない

 それにしても、ツバサとバッタモンダーを分かつものは何なのだろうか? プリキュアの力を手にすることで闇落ちすることなく戦いに参加できるようになったツバサと、否応もなく帝国の能力主義を内面化して戦いにかり出されたバッタモンダー。それを分かつものは何だろう。

 答えは、ない。2人を必然的に分かつものは存在しない。「そのように生まれてきた」という以外の答えは見つからないだろう。そう考えると、『ひろがるスカイ!プリキュア』はなかなかに残酷なこの世の事実を描いているようにも見える。

 確かにバッタモンダーは「浄化」されはした。だが、現実の世の中はアンダーグ帝国にむしろ近いのではないかと考える時、そして私たちの多くはツバサよりはバッタモンダーに近いかもしれないと考える時、この作品はエンパワリングであると同時に残酷でもあるという思いにとらわれるのだ。

 ツバサにせよバッタモンダーにせよ、彼らを「プリンセスを守る騎士」というある種旧来的な男性のジェンダー役割に収まったと見るか、それとも他者のために、利他的に生きる道がとりわけバッタモンダーに救いをもたらしたと見るのかは紙一重ではある。少なくとも後者の道を指し示してくれたことには、この作品に感謝をしたい。