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 そこでひとつ着目したのは、「能力」の問題である。というのも、ヒーローといえば能力の権化だと思われるだろうが、現代においてはそもそも能力とは何か、能力があるとはどういうことかをめぐって大きな変化が起こっているのだ。

 アメリカであれば『X-MEN』シリーズ、日本であれば『僕のヒーローアカデミア』といった作品が、ある種の障害学的な観点からヒーローの能力について新たな視点を提示しているのは、そのような現代性を背景にしている。

 実際、何が能力または力であるのかは一般的にも時代や文化によって変わってくるだろう。腕っ節が強いことが能力であった時代から、むしろ共感力やコミュニケーション能力こそが能力だとされる時代への変化のように。

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『ひろがるスカイ!プリキュア』は、何が能力なのかについてかなり繊細なバランスを保ちながら探求する作品になっていた。

 まず、悪役たちの帝国であるアンダーグ帝国は「強さ(と弱さ)」に取り憑かれた国だ。ヴィランたちは、最初の敵幹部であるカバトンのように「つええ」か「よええ」のみを基準とした価値観の中にいる。

 それに対してプリキュアたち、とりわけ主人公のソラは、強さとは何かについて様々な挫折を乗り越えながら探求していく。その対立においては、「強さ/弱さ」のみに囚われていることこそが「悪」となっていく。強さを相対化できることが善であり、強さに囚われるのが悪なのだ。

主人公のソラ・ハレワタールは「ヒーローになる」ことを目指す 公式サイトより

 この図式自体が新しいと言いたいわけではない。実のところ、「強さとは何か」というのは、とりわけ近年の少年・青年漫画が非常に意識的に問うようになった問題であるのだから。

 代表例は『鬼滅の刃』であろう。この漫画の登場人物たちは、確かに鬼を倒すために過酷なまでに「強さ」を追求するのだが、主人公の竈門炭治郎の最終的な「強さ」は敵のはずの鬼にさえおよぶ共感力であった。

プリキュアと悪役がともに「弱者男性」的である理由

 それでは『ひろがるスカイ!プリキュア』はその強さの問題についてどのような答えを出しただろうか。

 最後にはプリキュアたちは結局武力に訴えて敵を討つ。だが、それはこのような物語において致し方のないところだろう。ここでは少し周辺的な部分に注目することで、この作品が「強さ」についてどのような視点を提供しているか見ていきたい。

プライドが高く意地の悪い悪役として登場したバッタモンダー 公式サイトより

 注目したいのは2人の男性キャラ、夕凪ツバサ(キュアウィング)と、ヴィランのバッタモンダーである。私がこの2人に注目するのは、本作品で重要な男性キャラクターの彼らが、それぞれに言ってみれば「弱者男性」的な性質を帯びているからだ。