藤沢周平というと、“美しい日本の伝統”を描く作家のように思われがちだ。しかし藤沢周平は海外ミステリの大ファンだった。『消えた女』にはじまる彫師伊之助シリーズは海外のハードボイルドを江戸に移植した逸品だし、初期傑作「暗殺の年輪」も刺客を描く暗黒小説の名品だった。

 そんな藤沢流クライム・ノヴェルから、研ぎ澄まされた短刀のごとき凄みを放つ『闇の歯車』をご紹介したい。『レザボア・ドッグス』を思わせる現金強奪サスペンスである。

 舞台はもちろん江戸。ある酒場に毎晩のように集う四人の男がいた。博打で身を誤って人を刺し、今は暗黒街の汚れ仕事を強いられる佐之助。前科者の老人。労咳に臥せる妻を持つ脱藩侍。愛人との関係を清算したい遊び人。そんな彼らに、伊兵衛という男が仕事を持ちかける。商家からの現金強奪。分け前は百両。いつも福々しい笑顔を浮かべる伊兵衛は何件もの強盗事件を計画・実行してきた犯罪のプロだった。だが、未解決の強盗事件を追う同心・新関が、伊兵衛を監視し始めた……

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 物語はシンプルだ。文庫本で二五〇ページほどの長さしかない。描写は切り詰められ、文体は藤沢周平史上もっともドライ。男たちの心のうちの修羅が、最小限の乾いた言葉で見事に浮き彫りとなる。彼らの夢と破滅が、酷薄な運命観に支配された息づまるドラマとして屹立するのである。

 思えば池波正太郎の名品たちも、フランス産の犯罪映画を咀嚼した末に生み出されたという。岡本綺堂の『半七捕物帳』もホームズ物を手本に書かれた。保守本流に見える時代小説にも、海外文化の美点を貪欲に取り込もうとする野心が秘められているのだ。(紺)

新装版 闇の歯車 (講談社文庫)

藤沢 周平(著)

講談社
2005年1月14日 発売

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