熊はキムンカムイ「山のカムイ」、ヌプリコㇿカムイ「山を司るカムイ」などと呼ばれ、その年齢や形状、雄か雌かなどでもいろいろな名前で区別されていたものでした。呼び名が多いということは、その文化における重要性を表しているということができます。
鹿をカムイ扱いしない理由
3巻22話でアシㇼパは「私たちの生活で鹿は無くてはならない存在だ」と杉元に語っています。
一方「キムンカムイ(熊)やホㇿケウカムイ(狼)みたいに名前にカムイをいれず、『獲物』という意味で鹿をユㇰと呼んだのも簡単に獲れたからではないかと思う」とも言っています。アシㇼパの説明のように、ユㇰ「鹿」はかつてのアイヌの主食であり、生きていく上での重要な存在であったのに、なぜかカムイ扱いされていません。11巻109話でアシㇼパが鹿について言った「私たちが住む西の方は鹿をカムイ扱いしない」理由について、ここであらためて考えてみましょう。
更科源蔵さんは『コタン生物記』で、「この動物のことを、鹿神と呼ぶのは、私の調査では鹿の少い宗谷地方だけ」(276頁)と言っていますし、カムイが自分のことを物語る「神謡」でも、鹿が主人公の話はついぞ聞いたことがありません。そのわけについて更科さんは「鹿とサケは空気や太陽のように当然あるものとされていた」と書いており、アシㇼパの言う「簡単に獲れたから」というのと同様の説明をしています。
ユカッテカムイの正体
私も基本的にはそういうことだろうと思いますが、それに加えて鹿は群れで移動して、一頭一頭が自分の意志で行動しているように見えないということが大きいのではないかと思います。かつて鹿は何十頭・何百頭という群れをなして野山を駆け巡っていたのだそうで、それらはもはや個の集まりとしてではなく、全体としてひとつの固まりのように見えたのではないでしょうか?
鹿の狩猟法のひとつに、追い落とし猟というのがあります。大勢で鹿の群れを断崖絶壁に追い込み、踏みとどまることができずに落ちた鹿をしとめるという猟法ですが、そのような場所をユックチカウシ(ユㇰ「鹿」クッ「崖」イカ「越える」ウシ「いつも~するところ」)と呼びます。沙流川流域の紫雲古津にそういう地名があるそうです。このようないわば「まとめ獲り」のような猟法が通用したのは、おそらく鹿だけだったのではないかと思います。英語では、deer「鹿」も、sheep「羊」やcarp「鯉」も、単数形と複数形は同じ形で、deers とかcarps という言い方は通常はしません。これもまた基本的に群れで行動する動物という、同じ理由によるのではないかと思います。