1ページ目から読む
4/5ページ目

「どんな女性でも心の中に夜叉を飼っている」

 ハードボイルドは「男の世界」かというと、そうではない。

「ハードボイルド=男の物語」との定型に疑問を持ち、〈現代の日本では、男より女のほうがよっぽどハードボイルドな生き方を要求されている〉(「別冊宝島1117号 ALL ABOUT 大沢在昌」)と考える大沢在昌氏は、女性が主人公のハードボイルドを書いていて、この作品もそのひとつである。

 女を主人公にした作品では、特命刑事アスカが活躍する『天使の牙』シリーズや、美貌の女刑事・涼子を主人公にした近未来活劇サスペンス『撃つ薔薇』、または『相続人TOMOKO』などがある。ただ、これらの作品は三人称で書かれ、ヒロインが刑事など「表側」にいる人間だった。女のハードボイルドで一人称、しかも裏社会の住人という設定は、本書『魔女の笑窪』が初めてだ。

ADVERTISEMENT

 10は若く見せられる水原は、“子供”でにぎわうクラブに入り、〈36を26には見せられるが、26は17、8の子供からすれば、ただの「婆あ」だ〉と年齢を気にしたり、リゾート地で最高の“ジゴロ”を見つけ、〈疼いた。一度だけ、寝たい、と思った〉〈悪い癖だ。男に“心”を求めないぶん、私は“体”を求めすぎる〉と性欲を覚え、ジゴロの恋人に嫉妬したりする。

 そんな「女の生理」を、男である大沢氏が、女の気持ちになりきって書いている。水原の女としての心理描写に、女の読者の私は大いに共感してしまい、男の作家がよく書けるものだと、謎だった。

〈どんな女性でも心の中に夜叉を飼っている、と俺は思います。その夜叉が大きそうな女性に惹かれるところがありますね。「外面似菩薩、内心如夜叉」と言いますし。どうせ夜叉なら、最初から怖そうな女性の方がいいな。こいつこそ本当の天使だと思った次の瞬間、やっぱり悪魔だったと分かったときのショックって大きいから。「女性はすべて魔女」と言ったら怒られそうですが、魔女であるがゆえの女性の奥行き、面白さはすごくあると思います〉(「本の話」2006年1月号)と、単行本刊行時のインタビューで答えている大沢氏は、「外面似菩薩、内心如夜叉」といった矛盾を本来的にもつ女の主人公を、復讐心、嫉妬心など、感情のきれいじゃないあたりまで踏み込み、とことん書いているのだ。

「買われる側」だった過去と決別し、「買う側」に回った水原は、前半、見抜く力を使い、“向かうところ敵なし”の状態で活躍するのだが、後半、絶体絶命の窮地に陥っていく。「島」での記憶がありありと甦り、“フラッシュバック”に見舞われる場面は、痛々しい。そして水原は、葬り去ったはずの過去と対決していくことになる――。