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銀座の女性を偲ぶ、二つの文章

 ところで、本書の選者の小池真理子さんは、むうちゃんこと坂本睦子のことを書いた文章を二編選んでいる(第一章「『いまなぜ青山二郎なのか』より」第二章「銀座に生き銀座に死す」)。第二章の文章は一読明らかなように、彼女の死の直後に書かれたものであり、第一章の方はそれから三十二年経って、三十二年前の自身の文章が書かれたいきさつにまで触れながら彼女を追想したものである。白洲正子、四十八歳と八十歳の文章を読み較べて、読者はどのような感想を持たれるだろうか。二つの文章の間には、大岡昇平の『花影』が横たわっている。

 文体に多少の変化はあるが、白洲正子は変わっていないということ、三十二年間白洲さんの裡(うち)にむうちゃんは生き続けていたのだということに私は感動する。

 私事ながら、あるとき「銀座に生き銀座に死す」の初出の一九五八年六月号の「文藝春秋」のコピーが白洲さんから送られて来たことがあった。前から探していたが見つからず、たまたま当時の編集長(田川博一さん)に出会ったのでコピーして貰った、あんまり辛い思いをしたし、さし障りもあったので今までどの本にも入れなかったものであること、むうちゃんは自分の唯一の女友達だったことが記されて、読んだら悪いが返送してくれろと付された手紙が付いていた。

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 結論を言うと「銀座に生き銀座に死す」というエッセイは、白洲正子にとって辛い思いをしたが、これで自分の腰が定まったという手ごたえを感じた文章なのだと思う。むうちゃんを語ることで青山二郎を書いたという思いもあったろう。またむうちゃんの死を自分の裡(うち)にとりこまなければ噓だという思いはもっと強かっただろう。

「無一物(むいちぶつ)」のむうちゃんは、「白洲さんて、何でも持っていらっしゃるのね」と言う。これは人生の批評の言葉である。「むうちゃんにそういわれた時、私は羞じた」と白洲正子は書く。白洲正子の愛読者は「私は羞じた」という言葉に或る切迫したリズムを感じるだろう。それは決して感情ではなく、痛みに似た肉体的な感覚である。この感覚をいかなる時に覚えるか、それがその人の感性であり、倫理でもある。その感性と倫理を白洲正子はむうちゃんとの約十年のつきあいの中で研いだという自覚の中で「銀座に生き銀座に死す」は麴町の旅館で綴られた。

 一九六二年に刊行された秦秀雄の『名品訪問』(徳間書店)で、今どんなものが欲しいと思っているのかという秦秀雄の質問に対して白洲正子は「有名なものでいえば、長次郎の無一物っていうようなもの。何でもなくて、そして何もかもあるもの。平凡なものがいいね。やっぱりあきる。先にもってた志野の火入なんて、とてもいいものだけど、いま欲しいとは思わない。それで、この志野(ぐい呑みを指す)を買って、溜飲をさげたのよ。あれが手に入るまでは、毎夜のように、志野を売ったことがくやしかったの」と語っている。

 白洲さんが志野のぐい呑みを手に入れた時期は、むうちゃんの死の頃のことと想像されるし、その志野のぐい呑みを眺める白洲正子の視線に、もちろん意識されることはないだろうが、むうちゃんは生きていると言ってもいいのではあるまいか。「『いまなぜ青山二郎なのか』より」の最後の数行は白洲さんにしては珍しく感傷的な文章で終わっているけれども、八十歳の老人の感傷はみずみずしい。