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「私は道草が好きなのだ」

 物を見る目も人を見る目も同じであるという思想は青山二郎伝来の思想だけれど、白洲正子はそれを繰り返しという方法をもって実践した。繰り返すことは時間と手間がかかるし、一見無駄のようにも思われる。が、繰り返すことによって、ものを見る人の目から、実は本質的な意味で無駄が省かれるのである。自意識も洗われ、余計なものが目に入ってこない。それを例えば本書の最後に置かれた「極楽いぶかしくは」は教えてくれる。

 宇治の平等院に白洲正子は何度でかけたことであろうか。その時々で見えるものは異なる。その積み重ねの中で、見る対象は心の風景になってくる。それが歴史の風景だという信念を白洲正子は持っていたのだと思う。

 白洲さんと旅行していると、ときどき突拍子もない提案を受けたことを思い出す。ルートの変更は毎度のこと、目的地の変更を移動中の車の中で提案されたこともある。「私は道草が好きなのだ」というのは定番の言葉であったけれど、それだけではないようであった。いまこの状況の中で、どこそこの景色を見ておきたいという欲求がわいてきて、そういう時に何か見えるものがあるだろうという予感のようなものがあったのではないだろうか。同行した人に「ほらね」と、予定を変更してここに来てよかったでしょ、とさも言わんばかりの嬉しそうな白洲さんの顔が目に浮かぶ。

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 また、景色を眺めながら言葉にならない音声を発することが多々あった。なにか口の中でむにゃむにゃ、ものを食べているような仕種をするのである。私には白洲さんが風景を食べているというふうに思われた。歴史は過去の事実の羅列ではなく、個人の心の中に再現するものであるという小林秀雄の思想を、白洲正子は自分の心の風景を描くことによって生かしていると言いたい。ちょうど室町時代の世阿弥の能に平安時代の業平が生きているように。

*こちらは2024年に刊行された『精選女性随筆集 白洲正子』(小池真理子選/文春文庫)の解説の転載です。

白洲正子(1910-1998) 昭和32(1957)年頃 写真・文藝春秋

白洲正子(しらす・まさこ)
1910(明治43)年、東京生まれ。祖父は海軍大臣、台湾総督などを務めた樺山資紀伯爵。幼少時から能を習う。学習院女子部初等科修了後、14歳でアメリカに留学、18歳で帰国、19歳で白洲次郎と結婚、二男一女を産む。43年『お能』刊行。64年『能面』で読売文学賞(研究・翻訳部門)受賞。代表作に『巡礼の旅―西国三十三ヵ所』『栂尾高山寺 明恵上人』『両性具有の美』など。1998年12月26日逝去。

精選女性随筆集 白洲正子 (文春文庫 編 22-9)

精選女性随筆集 白洲正子 (文春文庫 編 22-9)

白洲 正子,小池 真理子

文藝春秋

2024年5月8日 発売