「俺たちの時代」は終わった
ただ、私たちは、それをあまり気にしていなかった。というのも、脳の中には、頭ごなしのコミュニケーションが活性化する回路があるからだ。それは、「上の言うことを疑わず、死ぬまで走り続けることができる。がむしゃらな気持ち」を作り出す回路である。つまり、頭ごなしの教育は、歯車人間を作り出す仕組みだったのである。
私は1983年入社で、入社してすぐ言われたのは、「きみたちは歯車だ。小さな存在にすぎないが、歯車が一つ止まれば、組織全体が止まってしまう。責任は大きい」という訓示で、当時の頭では、けっこう感動したのを覚えている。
歯車には、「なぜ、この方向にひたすら回るのか」はわかっていない。その是非を疑うことも許されない。「こうしろ」と言われたことを、疑わずに遮二無二邁進することで、大きな組織を回すことに喜びを感じるセンスが、当時のエリートには不可欠だった。
そもそもエリートたちは、幼いころから、母親の「こうしろ」に従って、お行儀よく高偏差値の大学を出て、一流の場所にたどり着いたので、それはお家芸のようなもの。末端の小さな歯車が、やがて大きな歯車になっていくのが出世街道だったのである。
20世紀にだって、夢を見た人はいた。本田宗一郎しかりスティーブ・ジョブスしかり。けれど、ひとりの夢見る人がいれば、何万人もの歯車人間がそれを支えていたのである。
そもそも夢の数も、そんなに多くなくてよかった。20世紀は、製品やサービスの機能が単純だったから、企業は生活者の夢を実現すればよかったのである。「車が欲しい」「掃除機が欲しい」「クーラーが欲しい」、そんな生活者が見る夢を。
ところが、21世紀、製品やサービスの機能は複雑である。家電製品ひとつ買っても、ユーザーの想像を超える機能が付加されていたりする。電子機器なんて、何年使っても使いきれない機能があるくらいだ。では、いったい、誰が夢を見ているのか―企業人たちである。そう、21世紀は、ひとりひとりが夢を見る必要がある。そして、その実現は、かつてのような歯車人間じゃなく、AIが支える。
残念ながら、「俺たちの時代」は終わったのである。その兆候は、ここ10年ほどあったけど、2023年、息の根が止まった。生成AIがオフィスワーカーの一員のように活用され始めた年に。
私たちの孫は、想像もつかない未来を生きていくことになる。確実なのは「夢見る力」が必要だということ。そして、それを育むために心理的安全性の確保が不可欠であることも。