日本ハム監督時代に選手に語ったこと
2012年に北海道日本ハムファイターズの監督になってからも、この本のエッセンスを選手たちとのミーティングで語ることもありました。
例えば、「和魂漢才」という言葉をもじった「士魂商才」といった言葉が、『論語と算盤』の中には出てきます。そこでこの言葉を使って「我々、ファイターズがどういう野球をやっていくのか」を、選手たちに問いかけてみる。僕が「和魂〇才」という言葉を10個くらいまずは作り、選手にも同じようにこの言葉を使ってチームのあり方を考えてもらう、という具合に工夫をしていましたね。
そうしたやり取りを通じて選手たちに伝えてきたのは、自分のことだけを考えがちなプロ野球の世界であっても、「やはりそれだけではチームとして勝つことはできないんだよ」というメッセージです。
あるいは、この『論語と算盤』には「親孝行とは親が子供にさせてやるものだ」という言葉が出てきます。要するに、子供が親孝行をするような関係を、親自身が作り出すことが大事、というわけです。そうした箇所を読むと、「なるほどな」と思います。
というのも、野球における選手と監督の関係も同じだと思えるからです。こちらが選手を上から育てようとするのではなく、選手が自ら育っていくのをいかに手伝うか。そのような関係を選手たちとの間に作り上げていくという視点が、監督には必要なのだ、と。お金儲けが『論語』でできるのであれば、野球だって『論語』でやってみようじゃないか、というわけです。
以来、『論語と算盤』は僕の「座右の書」となりました。読み返す度に発見があり、過去の自分がアンダーラインを引いていた箇所の解釈を、あらためて考えてみるような読み方もしています。なかでも、ちくま新書版の『現代語訳 論語と算盤』(守屋淳訳)が読みやすいので、常に10冊ほどを持っています。監督時代には折に触れて選手に渡すようにもしていました。これは僕がよくしているのですが、本の最初の余白にメッセージを書いて渡すのです。
まあ、とはいっても、本を渡した後に「読みましたよ」と言ってくる選手はほとんどいません。選手たちは僕が現役だった頃と同じく、野球に必死で取り組んでいるわけですから、「本」をゆっくりと読む余裕はない。その点は仕方ありません。
しかし、若い時は野球が人生の全てのように思えても、選手を引退してからも彼らのキャリアは続いていきます。現役を退いた後に、今度は「指導者」の立場になる場合もあるはずです。メディアから「座右の書」を聞かれる機会だって、ときにはあるかもしれません。そんなとき、僕から渡された本がふと目に留まり、読んでみよう、と思う瞬間があるかもしれない。本というものは、そのときは読まなかったとしても、傍らに置いておくことで、いつかその人の心に届く「時」があるはず――そんな思いを持っています。