そもそも酒を保管するための樽自体は古くから用いられており、ヨーロッパで樽が文献上に登場したのは紀元1世紀と言われています。そこからオーク樽(現在も使われているナラの木などを使った樽)が用いられるようになったのが16世紀とされていますので、樽熟成発見の逸話とは200年ぐらいの開きがあります。1700年頃はそもそも大容量の液体を保管または輸送する手段は基本的に樽しかなかったはずなので、「ウイスキーを隠して重税を逃れるために樽貯蔵が始まった」という話は、やや腑に落ちない部分があります。
私は、隠すためではなく、製造規模が大きくなったことが樽貯蔵につながったのではないかと考えています。それまでの無色透明のウイスキーは、小さな農家などで余剰作物を利用して極めて小規模に製造され、ガラスや陶器の瓶でごく短期間保管され、消費されていました。ところが、ウイスキーの製造に重税が課されるようになると、小規模な製造では密造のリスクに対して割に合わなくなります。そこで同じリスクを冒すならばと製造規模が大規模化していき、その結果、比較的長期間での保管が樽で行われるようになり、熟成がされるようになっていったと考えられます。このあたりの経緯については文献がないため、はっきりとしたことはわからないのですが、いずれにしても18世紀頃から樽貯蔵が始まったと言われています。
連続式蒸留機――三大発明(2)
18世紀に入ってから、ジャコバイト(1688年の名誉革命で王座を追われたジェームズ2世を支持した人々の呼称)の度重なる反乱の鎮圧や対仏戦争の影響により、イングランド政府はウイスキーに重税を課し、密造に対しては密告者と収税吏に報奨金を出すなど、抑圧的な政策を推し進めていました。その状況が一変したのが1823年の酒税法改正です。
わずか年間10ポンドでウイスキーの製造免許を与えるという形での減税が行われたのです。それまでは重税を課すことでかえってウイスキーの税金逃れが盛んになっており、摘発するために多大なコストをかけるなど、大きな摩擦を起こしながら収税をしていました。そのようないたちごっこをやめ、税金のハードルを下げて政府が蒸留所を公認し、産業を振興することで多くの蒸留所から税を集める方向に転換したわけです。