父の失踪という原点
本作には、まだまだ表に裏に隠されている謎がひそんでいるのかもしれない。ヒロインの名前がステファニー・マッキャンというのも怪しい。スティーヴン・キングの Stephen とステファニー Stephanie 。そしてコロラド・キッドは、妻と生まれたばかりの赤ん坊がいる男であり、故郷をはるか離れたメイン州の島の海岸で死体で発見された。なぜ彼は妻子のもとからふいにいなくなったのか。
さぁ、スティーヴン・キングのことをよく知るマニアックなファンならば、もうお分かりだろう。キング自身の父親は、彼が二歳のときに突然家を出てしまったきり、戻ってこなかったのである。
〈四九年のある日、父親は、「ちょっとそこまでタバコを買いに行ってくる」とひと言告げて蒸発してしまった。以降今日まで、この父ドナルドに関する消息はまったくわからないという。〉(風間賢二『スティーヴン・キング 恐怖の愉しみ』 筑摩書房より)
なんと、父の最後の言葉が、「ちょっとそこまでタバコを買いに行ってくる」だとは。おそらく、キングは幼少のころから、なぜ父は家族のもとからいなくなったのか、その理由を考え続けていたことだろう。子ども時代は子どもなりに、大人になってからは現実的かつ論理的に、何年も何年も失踪のあらゆる原因とその可能性を吟味していったに違いない。ハメットによる「フリットクラフトの逸話」は、どれだけキングの想像力を刺激したことだろうか。
キングによる「あとがき」では「本書『コロラド・キッド』がお気に召したか、あるいは腹立たしくてならなかったかにも左右されるが」と冒頭で断っている。この物語の結末に関して、あくまで事実をもとに、そこから導き出せるかぎりのことを書いてみせただけである、と言わんばかりである。さらに最後のほうでは、「われわれはいつも天の光にむかって手を伸ばし、コロラド・キッドがどこから来たのかを知りたいといつも願っている(世界はコロラド・キッドに満ちている)。いざ知ってしまうよりも、知りたいと願っているうちが花かもしれない」と述べている。「世界はコロラド・キッドに満ちている」とは、まさにキングの世界観を端的に表しているのだ。この言葉こそ、キングがたどりついた、大いなる謎に対する最終的な〈真相〉といえるのではないだろうか。