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馬主の自殺、バブルの残滓 今振り返る、平成ダービー「裏面史」

平成最後のダービー、30年の悲喜こもごも

2018/05/26
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バブルの時代、熱狂の東京競馬場を逃げ切った馬

 平成が終わりを迎えようとする今、そのはじめをふり返れば、ウィナーズサークルがダービー馬となる平成元年の暮れに、日経平均株価は3万8957円の史上最高値をつける。そうした日本経済が最高潮のときにデビューした馬がつどう90年の日本ダービーは、伝説のダービーとなる。19万6517人が東京競馬場に集まったのだ。これは日本記録であり、世界記録でもある。その熱狂のなかをアイネスフウジンはレースレコードで逃げ切る。

平成最初のダービー馬、ウィナーズサークル ©佐貫直哉/文藝春秋

 土地や株でカネを掴んだバブル紳士が競馬場に集まる時代、その絶頂時にダービーを制した馬主の名は小林正明、自動車用品を扱う会社の経営者であった。馬主になって3年で、「こんなに早くダービーを勝つという幸運があっていいのか、怖さを感じています。事業をやってきて怖いと感じたことはなかった。この幸運を大事にしたい」(注2)と語っている。 

社長3人がラブホテルで自殺する事件

 そんな小林が再び世間の注目をあつめるのは8年後のこと。98年2月、経営に行き詰まった社長3人がラブホテルで自殺する事件がおきる。その自殺者のひとりが小林であった。

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 事件直後の週刊新潮の記事「最後の晩餐は牛丼で 『社長三人』首吊り心中のなぜ」には、現場近くの牛丼屋にきちっとした身なりの客が現れ「その場違いなお客さんが、深刻そうな雰囲気を漂わせて、牛丼の“並”の札を持ってカウンターにみえたんですよ。私は、“こんな重役のような方が、並を召し上るんだ”と不思議におもったものです」との証言が載る。そうして三人で牛丼の食べたのち、ホテルで缶ビールを飲み、最期をむかえる。

1990年、第57回日本ダービー 優勝はアイネスフウジン 2着はメジロライアン ©佐貫直哉/文藝春秋

 かくして強運のダービーオーナーは死す。それでもアイネスフウジンのレコードタイムは、小林の死後もしばらく残り、ダービーが近づくたびに顧みられるのだった。