そのうちのベルメルシュ神父とのやりとりを『八兵衛捕物帖』はこう書いている。
刑事「お宅の会社から武川さんに速達が出されているが、どなたが出したんですか?」
神父「私が出したんです。武川さんはいい信者でした」
刑事「武川さんとお会いになったのは、いつごろですか?」
神父「『ロンドンから帰ってきたので会いたい』と3月5日に電話があって、その日に原宿駅前で会い、車の中でいろいろ話しました」
刑事「どんな話を?」
神父「ロンドンの話です。その時、BOACに自宅の地図を出すように言われて困っているというので、私が描いてあげると約束し、それを速達で送ったんです」
「被害者が外国人男性とホテルへ」「神父だと確信」
〈話している間、神父は「武川さんがどうしたのですか?」と何度も聞くので、死んだことを知らせると「ほう、死んだのですか」と言ったが、驚いた様子はなかった。「あなたはどこに住んでいるのですか?」と聞くと「この2階です」と返答。「皆さん、一部屋で寝るのですか」という問いにこう答えた。「アリバイはありますよ。10日は5時に起きてミサをしていました」。
平塚はベルメルシュ神父の捜査専従になった。捜査本部は刑事48人を動員し、原宿駅周辺の旅館・アパートを徹底捜査。1月に被害者が外国人男性とホテルに一緒に入ったことが判明した。捜査本部はベルメルシュ神父だと確信した〉
〈本人の取り調べのため、記者に気づかれないよう目立たない場所を探し、浅草の刑事部菊屋橋分室に決定。新聞休刊日(翌日の朝刊が休刊)の5月5日朝、平塚ら刑事2人がドン・ボスコ修道院に向かった〉
ところが、「報道陣は既にその動きを察知していた。D社前のやぶの中にカメラの放列が敷かれている」(『八兵衛捕物帖』)。「週刊平凡」6月18日号の座談会では、各社の記者とも「『うちだけか』と思っていたら、ほかも来ていた」と話している。神父と修道院側は強硬な態度で教会外での取り調べを拒否。この日の事情聴取はできなかった。
「やましいことはない」と否定
ベルメルシュ神父はその後も出頭を拒み、5月7日付産経新聞(以下、産経)朝刊では、記者に「私は事件とは無関係。知子さんのことはよく知っているが、神父と信者の関係にすぎない。私にやましいことはない」と語っている。結局、ベルメルシュ神父は5月11日に出頭。事情聴取を受けたが、アリバイを主張し、被害者と交際があったことは認めたものの、肉体関係は頑強に否定した。
12日付朝刊では読売が初めて神父の顔写真を掲載した。聴取は12日、13日、さらに20、21日両日も行われたが、供述は変わらなかった。『刑事一代』で平塚はこう述懐している。