ドン・ボスコ社は、世界各国に教会、修道会、学校などを持つカトリックの一派サレジオ会の社会事業団体で、キリスト教関係書籍の出版などをしている。

 ジョン・A・ハードン編著『現代カトリック事典』(1982年)はサレジオ会について、「聖ヨハネ・ボスコ(1815~1888)が(イタリア)トリノ市の近くで1859年に創立したサレジオの聖フランシスコ修道会(17世紀に活躍した聖人フランシスコ・サレジオにちなんだ団体)。主要目的は学校や職業訓練施設で青少年を教育・育成すること。宣教地でマスコミ関係分野でも活動している」と記す。「ドン・ボスコ」もこの聖者の名前を取ったのだろう。

神父が所属し、居住していたドン・ボスコ修道院(「週刊東京」より)

「清貧」「貞淑」「従順」

 事件とベルメルシュ神父のその後を追った大橋義輝『消えた神父、その後』(2023年)によれば、神父の本名はルイス・チャールズ・ベルメルシュ。1920年7月、ベルギー北西端の北海に近いオーデンブルクという小都市で富農の長男として生まれた。哲学や日本の神道に関心があり、聖職の道へ。ベルギーのカトリック教会に入り、1948(昭和23)年5月に28歳で日本のサレジオ会に派遣された。1953年に司祭の資格を得てドン・ボスコ社の会計主任に。同社が発行するカトリック系雑誌の編集にも携わるほか、日曜日は聖オディリアホームのミサも担当していた。

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「週刊朝日」6月7日号は「“受難”のベルメルシュ神父」の見出しで「できるだけ客観的に」事件と神父の周辺を報じた。それによれば「修道生活は犠牲と苦難の連続」という。洗礼を受けてから神父になるまで、1年間の修業期間に次いで3年間の誓願期があり、「清貧」「貞淑」「従順」の3つを誓わなければならない。

 神父の日常は「朝は5時に起床。朝食後に1時間の黙想と1時間のミサを行う。病院で看護婦の下働きをやらされたりする。手紙を出すにも、たばこを吸うにも、いちいち院長の許可が要る。従順の誓いを錬磨するためだ」と書いている。神父は一生独身を義務づけられていた。

“伝説の名刑事”が捜査を担当

 この事件の捜査については、「吉展ちゃん事件」で知られる「警視庁伝説の名刑事」平塚八兵衛の談話を記録した比留間英一『八兵衛捕物帖』(1985年)と佐々木嘉信著・産経新聞社編『刑事一代 平塚八兵衛の昭和事件史』(2004年)がある。突き合わせると概略は次のようになる。

〈事件が発覚すると、捜査一課長から「2号(当時、捜査一課強行犯係は「小部屋」に分かれていた)でやってくれ」と言われた。被害者が誰かは当初分からなかったが、上着のポケットに入っていた「伊勢丹」のマークから身元が判明した。それからベルメルシュ神父が浮上するのには時間がかからなかった。

 刑事がBOACに入ってからの同僚に話を聞くと、ロンドンでの研修中、被害者は「お世話になっている神父さんに何を送ったらいいだろう。神父さんはよくルノーを運転しているので手袋にしようか」と言っていた。東京から届いた大きな封筒には「ドン・ボスコ社」と書いてあった。被害者が3月8日に出かける前に届いた速達便にも同じ名前が書かれていたので、2人の刑事がドン・ボスコ社に行くと、3人の神父が出てきた〉