少し垣間見たように思えたのは、『嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書 自閉症者と小説を読む』(ラルフ・ジェームズ・サヴァリーズ著、岩坂彰訳、みすず書房)を読んだときだった。同著は、ニューロマイノリティ(ここでは、現在「自閉症者」と呼ばれている人々)の人々の読書体験とはどのようなものなのかを文学教授が観察し、記録したものだった。それは、共感力に欠けるとか、想像による遊びができないとかいう、「自閉症者」に対する有害なステレオタイプを打ち崩すような一冊で、このような人々がいかに濃厚かつ鋭敏で、ユニークな感受性を持ってディープな読書体験を楽しんでいるかが明らかにされていた。読みながら、きっと配偶者も、わたしや息子よりも濃厚かつディープにその場の風景や匂いや音を味わっているのだろうと考えた。

 そして本書を読んだ時、わたしはその状況をはっきりと見せてもらった気がした。

イメージの豊穣さと、マッハのスピードの文体

 まず驚いたのは、その状況の絢爛豪華さだった。別に横道さんの旅のスタイルがリッチで豪華というわけではない。そうではなく、ここにしたためられている文章の一つ一つと、そこから立ち上がるイメージのレイヤーが豊潤なのである。この世ならぬ静寂と美のイメージを見せられた気分になっていると、次の段落には、いやふつう、そこには飛ばないでしょうといういきなりの展開があり、爆笑してしまう。

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カサブランカのホテルに向かう道が砂漠になり、それがムーミン谷の吹雪の世界になって月面に接続し、ルドヴィーコ・アリオストの『狂えるオルランド』を思い出すという幽玄なイメージに酔っていると、トルコで『風の谷のナウシカ』を思い出したのは、同作に登場する国家の一つが「土鬼」で「トルコ」と響きが似ているから、などというオヤジギャグみたいなことが平気で書かれている。

本を読むって、こんなに忙しいっていうか、刺激的な体験だったのかと思った。またそれを、無理やりの継つぎ接はぎ感なく、シームレスに読ませてしまう文章は明らかに異才だ。才走った文体、とはよく言うが、横道さんの文体の才気は、走るどころかマッハのスピードで縦横無尽に地球上をワープ移動している。

無限の青に溺れる旅 ©AFLO

「僕はいつも、ほかの多くの人よりも風景や創作物に激しく揺さぶられている気がしていた」「この障害が立ちあげる『みんな水の中』の体験世界に包まれ、生きているからこそ、それが解消される特権的な瞬間に、心身が激しく揺さぶられるのではないか」

 横道さんはこんな風に書いているが、配偶者も旅に出るとその「特権的な瞬間」に出会い、激しく揺さぶられているから抜け殻になるのかもしれない。旅先で目にする、わたしや息子からすれば何ということもない風景や聞こえる音や匂いから、一斉にぶわーっと頭の中にいろんなものが立ち上がってきて、その洪水に打たれて動けなくなっているのかもしれないのだ。