「象徴ともいえる力道山がいなくなればプロレスは廃れる」

 残された人たちによって死後に意外にも真っ先に見切りをつけられたのが、稼ぎ頭で中核であるはずのプロレス事業だった。プロレス事業はグループを統括するリキ・エンタープライズの傘下にあったのだが分離している。

 当時の関係者は「日プロやリキ・ボクシングジムからも道場、ホールの使用料を取っていた。他人と一緒の扱いになった。プロレスはお荷物に見えたらしい。力道山が亡くなった時、当時は一番目に潰れるのはプロレスだとみんなが思っていたんだ」と振り返っている。

「馬鹿じゃねーの、ビジネスセンスなさすぎ」と突っ込みたくなるかもしれないが、当時は力道山といえばプロレスであり、プロレスといえば力道山だった。プロレスの象徴ともいえる力道山がいなくなればプロレスは廃れると考えるのは決しておかしくない。

ADVERTISEMENT

 実際、力道山が亡くなった直後はファンが一気に離れた。ただ、その後のプロレスブームは周知のとおりだろう。なお、プロレス事業の切り離しは、当時の主力選手たちによる造反という見方が今では支配的だ(稼いでもリゾート開発に資金が吸収されてしまうことを嫌った)。

結婚会見での力道山 ©文藝春秋

もし、力道山が生きていたら

 力道山は常識にとらわれず、時代を先取りして新しいことを試し続けた。プロレスラーである前に優秀なビジネスマンであり、プロレスは彼の肉体という優位性を生かしたひとつのビジネスに過ぎなかった。あの時代にサプリメント事業を手掛けるなど、次に吹く風を確実に読んでいた。渋谷に1000坪の土地を購入していたが、そこにはスーパーマーケットをつくり、チェーンストアとして展開する構想もあった。

 もし、力道山が生きていたら日本のプロレスはどうなっていたかという議論はいまだにあるが、もし力道山が生きていたらどんな事業を手がけたのか。プロレスラーとしてではなく、実業家として名を残したのではという気がしてやまない。

その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。