『絶滅できない動物たち』(M.R.オコナー 著/大下英津子 訳)

 シートンの『動物記』やバイコフの『偉大なる王(ワン)』を私の世代は読んで育った。その主題は『モヒカン族の最後』と同じ、滅びゆく種族を唄う叙事詩でもあった。その裏には進歩していく現代社会があった。絶滅は近代的進歩の代償に過ぎなかった。

 現代の「絶滅」論はそれに比べて、なんと殺伐としていることか。そこには進歩への絶望があるというしかない。なにしろコンピュータが人類を置き換えるというお話すら出てくる時代なのである。

 絶滅に対処して、遺伝子を保存する貯蔵庫があり、それを利用した種の復活の試みがあり、iPS細胞がある。そうした技術を利用して仮に絶滅種が「復活」したとしても、それはいったい何者なのか。著者はそれをしきりに論じる。われわれはそもそも自然のなにを理解したのだろうか。

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 全体は八章に分かれているが、それぞれがカエルやサイやリョコウバトなど、具体例を扱っている。そこがたいへん興味深い。生きものが好きな人なら、詳細を堪能するであろう。

 原題は「復活の科学」、これは含蓄に富む表現である。英語のリザレクション、復活には、キリストの復活という含意がある。宗教離れが進む現代で、この言葉を科学と結びつけることは、キリスト教圏の人々にかなり複雑な連想を起こさせるはずである。キリストの復活は奇跡であり、奇跡はキリスト教の中心に位置する。

 それにしても、と私は思う。よくもここまで絶滅を追求するなあ。すっきりした解答がない点は、死の議論に似ている。あるようで無く、無いようであるのが死である。絶滅も同じで、恐竜は絶滅したが鳥は生き延びている。恐竜は確かに滅びたが、鳥になったということもできる。

 帯には「いっそ、絶滅してしまったほうが――」とある。これぞ日本人。私はそう感じた。ゴタゴタいうよりいっそ絶滅。それを言ってはお終いですけどね。

M.R.O'Connor/ジャーナリスト。コロンビア大学ジャーナリズムスクール修了。「ニューヨーカー」「ウォール・ストリート・ジャーナル」などアメリカの有力紙誌に寄稿。本書が初の著書となる。NY在住。

ようろうたけし/解剖学者。1937年神奈川県生まれ。『からだの見方』『バカの壁』『半分生きて、半分死んでいる』など著書多数。

絶滅できない動物たち 自然と科学の間で繰り広げられる大いなるジレンマ

M・R・オコナー(著),大下 英津子(翻訳)

ダイヤモンド社
2018年9月27日 発売

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