【一押しNEWS】満州から帰還した3.11の被災者/9月20日、朝日新聞(筆者=柳田邦男)
私は今、東京電力福島第一原発から北30キロにある福島県南相馬市で暮らしている。廃炉を含めた復興取材の「最前線」だ。日々手探りのようにしながら原発事故で甚大な被害を被った人々や自治体を取材している。
東京電力の旧経営陣だった3人に下された無罪判決は、福島県で暮らす人々に大きな衝撃をもたらした。翌日の朝日新聞を開くと社会面に大きく、政府の事故調査・検証委員会の委員長代理を務めた柳田邦男さんの傍聴記があった。柳田さんは私が青年期に愛読した『マッハの恐怖』や『空白の天気図』などの傑作ノンフィクションを世に送り出した第一人者だ。私にとっては次の一文が印象的だった。
「問われるべきは、これだけの深刻な被害を生じさせながら、責任の所在があいまいにされてしまう原発事業の不可解な巨大さではないか。これが一般的な凶悪事件であるなら、被害者の心情に寄り添った論述が縷々(るる)記されるのが通例だ。裁判官は歴史的な巨大な複合災害である事故現場や『死の町』や避難者たちの生活の現場に立ち、そこで考えようとしなかったのか」
実は柳田さんは公私にわたって何度も福島県に足を運ばれている。私がお会いしたのは昨年秋、福島県矢祭町で開かれた手作り絵本コンクールの審査員として会場に足を運ばれていた時だった。「福島は世界的な現場です。私たちに見えにくい事実を伝えて下さい」と声を掛けて下さり、後に小著『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』(第13回開高健ノンフィクション賞受賞作)までお読み頂いて直筆のお手紙までお寄せ頂いた。
福島県外からは「見えにくい事実」の1つに、今回の原発事故で被害を受けた人々の中には、太平洋戦争中に日本が傀儡国家として建設した旧満州(現・中国東北部)からの帰還者が多く含まれているという事実がある。代表的な集落の1つが福島県浪江町にある赤宇木と呼ばれる地域だ。事故原発から30キロも離れているにも関わらず、高濃度の放射性物質を含んだ雲が山側に流れて雪や雨と共に降り注いだため、今も人が住むことができない帰還困難区域に指定されている。
89歳の岸チヨさんは福島県中部の村に生まれ、満蒙開拓団の一員として1942年に一家9人で旧満州の下学田へと渡った。敗戦と同時にソ連軍が進駐してくるという話が広まり、現地で集団自決を経験する。
「朝、父は家族に劇薬を手渡して『これを飲め。俺はお前たちの最期を見届けてから手投げ弾で自決する』と言いました。私が最後の別れを告げようと親友に会いに行くと、集落のあちこちで『この劇薬では死ねない。飲むな』という声が聞こえる。家に戻ると、家族は劇薬を飲んで苦しんでいた。慌てて解毒剤を飲ませると、胃の中の物を吐き出した。でも、満州の土になる覚悟で大陸に渡ってきていた母だけが『親不孝者!』と言って解毒剤を勧める私の手を振り払ったのです」
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source : 文藝春秋 2019年12月号