元製薬会社員の僕が「偽薬」を売る理由

水口 直樹 プラセボ製薬株式会社代表取締役
ビジネス 企業 商品 医療
誰しもが健康でありたいと願っている。しかし、健康とは何なのか。科学では実は健康は定義できない。終わりなき健康の追求はもはや病といえる。僕は「偽薬」で現代人の「健康病」を治す。だから、社名に「プラセボ」と付けた――。

ただ“薬”に見えるという商品

〈プラセボ製薬株式会社〉

 これは、私が大手製薬会社を退社して、2014年に、28歳の時に設立した会社の名前です。

 読者の皆さん、とりわけ医療関係者であれば、きっと、この社名に違和感や珍妙さを感じるのではないでしょうか。「プラセボ(プラシーボ)」とは、新薬の臨床試験で用いられる「偽薬」のことで、要するに、「偽薬を製造・販売する会社」ということになるからです。

 実際、小社は、30錠で税込999円の「偽薬」を製造・販売しています。

 そもそも「偽薬」とは、「薬効成分を含まない製剤」で、新薬の有効性や安全性を科学的に評価するために開発されたものです。

 そうした知識がある方ならば、「なるほど、臨床試験に用いる偽薬を製薬会社に卸しているのか」と思われるかもしれません。

 しかし、〈プラセボ製薬〉が扱っているのは、「臨床試験で使われる偽薬」ではありません。「本物の偽薬」なのです。

使用_プラセボ製薬会社の商品
 
本物の偽薬「プラセプラス®」

「本物の偽薬」と聞いても、ピンとこない方も多いでしょう。

 ラムネ菓子のような「錠菓」をイメージしてください。「薬に似せて作った錠剤状の食品」で、あえて美味しさは追求せず、ただ“薬”に見えるという点に絞って商品化したものです。〈プラセボ製薬〉が実際に販売している「偽薬」は、ほぼ糖と食物繊維からできています。

「錠菓」との若干の違いは、アルミ面から1錠ずつプチッと押し出すシートタイプの包装(PTP包装)を採用するなど“本物っぽい”見た目にこだわっていることです。

「偽薬」ですから薬効を示す化学物質は何ら含みません。甘味料などの食品成分から作られたこの商品は、定義上、「医薬品」ではなく「食品」です。薬機法(旧・薬事法)に規定される「医薬品」とは異なり、法的には何ら定義されていない「健康食品の扱いに近いもの」なのです。

 では、〈プラセボ製薬〉は、なぜこんな「偽薬」を作っているのでしょうか。

 医薬品開発についてご存じの方であれば、「プラセボ効果を狙った商品だろう」と考えられるかもしれません。

「プラセボ効果」とは、薬効成分を含まない「偽薬」を飲んで、(「薬を飲んだ」といった安心感などによって)「あたかも本物の医薬品を服用したかのような変化が生じる現象」のことです。

 新薬開発の臨床試験で「偽薬」を用いるのは、この「プラセボ効果」を考慮に入れつつ、「プラセボ効果」を排除して、「新薬の純粋な効果」だけを抽出するためです。

 こうした「プラセボ効果」も、〈プラセボ製薬〉の狙いの1つです。

医学的に“無効”だから“有用”

 しかし、それは副次的なものにすぎません。「プラセボ効果を生じ得るから価値がある」のではなく、むしろ「効果がないからこその価値がある」ものとして、「偽薬」を製造・販売しているのです。つまり“無効”だからこそ“有用”という点に真の狙いがあります。

 “無効”な「偽薬」が、とくに“有用”となるのは、次のようなケースです。

 たとえば、定められた量の薬剤をすでに服用したにもかかわらず、何度も服薬を求める認知症の方。

 規定量では効果を感じず増量を求める不眠症の方。

 健康不安から風邪薬を飲み続けてしまう方。

 薬の飲みたがりや飲みすぎは、とくに高齢者介護の現場でよく見られる光景です。

「介護する側」からすれば、薬は常に多かれ少なかれ「副作用」を伴うものでもあるので、必要以上に薬を飲ませるわけにはいきません。

 他方で「介護される側」からすれば、薬を飲まなければどうにも収まらない不安があります。

「介護する側」が、いくら言葉を尽くして医学的に正しい「説明」をしても、「介護される側」が「納得・同意」できるとはかぎりません。

 ここにこそ、「偽薬」の存在意義があります。

「介護する側」にとっては、必要以上の「薬効成分」を与えず、「介護される側」にとっては、「服薬行為」によって安心感を得られる。「無効性」という特別な価値を有した「偽薬」は、「医学的に正しい解決策」とは異なる「実践的な解決策」を提供するのです。

使用_水口直樹氏
 
水口氏

患者の同意と「偽薬」

 実はこれまでも、「偽薬」は、利用されてきました。たとえば、介護の現場で、必要に迫られて、「錠菓」や「顆粒状の甘味料」や「整腸剤」が、「偽薬」のように利用されてきました。ただそれは、「介護する側」の葛藤を伴うものでした。

 近年、医療や介護の現場において、「インフォームド・コンセント(説明と同意)」が重視されています。

「インフォームド・コンセント」とは、「患者・家族が病状や治療について十分に理解し、また、医療職も患者・家族の意向や様々な状況や説明内容をどのように受け止めたか、どのような医療を選択するか、患者・家族、医療職、ソーシャルワーカーやケアマネジャーなど関係者と互いに情報共有し、皆で合意するプロセス」(日本看護協会HPより)のことです。

 要するに、「医療・介護する側」は、「医療・介護される側」に対して、十分な「説明」をした上で、「同意」してもらう必要があるということです。

「偽薬」の利用は、この「インフォームド・コンセント」の原則に反します。

 ですから、必要に迫られて「偽薬」を利用せざるを得ない場合でも、「内々でこっそり共有する秘儀」のようなこととして行うしかなかったのです。

 言い換えれば、「偽薬の利用」は、必然的に「倫理的問題」を伴います。「嘘をつくこと」「騙すこと」であるからです。

〈プラセボ製薬〉があえて「プラセボ(偽薬)」を堂々と社名に冠する理由は、まさにここにあります。

 黙って隠して嘘をついたり騙したりすれば、「医療・介護する側」の葛藤は大きくなる一方です。ここであえて「偽物」であることを前面に出すことで、「偽薬の利用」を堂々と行えるようにして、心理的負担を軽減するのです。

「偽薬の利用」を堂々と行えないと、まず困るのは、「医療・介護する側」です。

 薬を求めてくるけれど、必要量以上は渡せない。「説得」を試みるものの、強引に奪い取って服用しようとする。そうやって困り果ててしまえば、もう好きなだけニセモノでも飲ませてしまおうか、でも嘘はつきたくないし……と葛藤を抱えることになります。しかも、真面目で“職業倫理”に忠実な人ほど、大きなストレスとなるでしょう。

 ここで、たとえば「介護用偽薬」といった「商品」があれば、どうなるか。きっと、同じような悩みを「介護用偽薬」で解消している他の購入者の存在を知って、「なんだ、みんな普通に使っているのか」と、葛藤やストレスは幾分かでも軽減されるのではないでしょうか。

 ただ、介護現場と比べて医療現場では、「偽薬の使用」のハードルは一段高くなります。

 その点を理解するために、「医療」の歴史をざっと振り返ってみましょう。

「プラセボ効果」と現代医療

 かつて「医療」は、まさに有象無象はびこる世界でした。歴史上、さまざまな「治療」や「薬」が存在してきましたが、現代の科学的視点から見れば、有効性に乏しいものやむしろ逆効果でしかないもの、あるいは危険でさえあるものも数多くありました。

 しかし、そこに常に悪意があったわけではありません。「効果がある」と信じて提供され、また「効果がある」と信じて求められたものもありました。そして「プラセボ効果(薬効はないのに、服用することで薬効のある薬を服用したかのような効果が生じること)」によって、実際に症状が改善するようなことがあったわけです。

 すると当然、この「プラセボ効果」を悪意をもって悪用する者も出てきます。

 生薬を主原料とする伝統的薬品でも、それぞれ独特のレシピに沿って作られるため、膨大なコストがかかります。ここで、「偽薬」を安価に製造すれば儲かります。

 しかし、そうであっても、どのような製品であれ、「プラセボ効果」である程度は効いてしまうため、効果感によって「偽薬」だと判明することはほとんどありません。

 問題は、単に薬効成分を含まない「偽薬」よりも、健康被害をもたらしうる粗悪な「偽造薬」です。薬事関連の近代的な規制法の第一の目的も、医療の近代化のために、こうした偽造薬の市場流通を防止することにありました。

 他方、薬効成分を含まない「偽薬」は、薬効成分を含む「本物の薬」を認定するのに不可欠なものとして、今日も存在しています。どのような薬であれ多少は効いてしまう可能性があるのなら、真に有効な「本物の薬」とは何かと言えば、それは「薬効成分を含まない偽薬よりも有効な医薬品」ということになるからです。

 つまり、現代医療においても「プラセボ効果」は役目を終えて退場したわけではありません。真に有効な医薬品の効果は、「プラセボ効果」に上乗せして固有の効果を発揮していることになるからです。

 医療関係者も、「プラセボ効果」の存在を理解しています。それどころか、「プラセボ効果」の有用性まで実感していることでしょう。しかし、それをあからさまに利用することがないのは、「偽薬」が薬機法が定義する「医薬品」でなく、単なる「食品」だからです。「偽薬」は「医薬品」でないため、保険診療であからさまには利用できないのが現状です。

 つまり「プラセボ効果」は、現代医療から排除されてはいないのに、「科学的に認められる真の効果ではない」という特異な扱いを受けているのです。

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source : 文藝春秋 2020年1月号

genre : ビジネス 企業 商品 医療