本郷和人「家康型“第二の人生”を目指します」

日本の顔 インタビュー

本郷 和人 歴史研究者

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日本史に学ぶ、理想の定年退職後の過ごし方

※本郷和人さんが登場したグラビア「日本の顔」もぜひご覧ください

 今年の春、私は65歳の定年を迎え、37年間過ごした東京大学史料編纂所を退職しました。東大に入学した1979年から数えれば、ほぼ半世紀。ずいぶん長い時間を本郷キャンパスで過ごしました。

 史料編纂所では、入所以来『大日本史料』の編纂に携わりました。『大日本史料』は、887年から1867年までの日本の歴史を対象に、史料を細大漏らさず片っ端から記録して「国史」を作ろうと明治政府がはじめた大事業です。中世史が専門の私が担当していたのは、1221年の承久の乱から1333年の鎌倉幕府滅亡までを網羅する「第五編」のうち、1249年から1256年の建長年間。編纂はまだまだ道半ば、というタイミングで退職するわけですが、そもそも『大日本史料』は今のペースでいけば、完成まであと数百年かかるとも言われています。どのみち最終形態を見ることはできませんから、後ろ髪をひかれるような気持ちは、これっぽっちもありません。あとは後輩たちに託しました。

 私は元来、仕事というものをあまり真面目に考えてこなかった人間です。ほかの所員たちが正面からしっかり仕事と向き合い、取り組んでいるのを横目に、自分のやりたいことを、好き勝手にやって過ごしてきました。ところが驚くべきことに、今は肩の荷が降りたような安堵感があります。まあ史料編纂所としても、まともに仕事をしない私のようなお荷物所員がいなくなって、ほっとしているかもしれませんが(笑)、いざ大学という組織を離れる段になって初めて、自分が多少なりとも任せられた仕事に責任を感じて、組織に縛られていたことを今更知りました。表現を変えれば、知らず知らずのうちにどこかで組織に守られていたのです。本当は、晴れ晴れとした気持ちで「ああ、せいせいした」と、意気揚々とキャンパスを去って行くつもりでした。でも、無理でしたね。史料編纂所を去る日が近づくにつれ、思ってもみなかった寂しさに襲われました。

本郷氏 Ⓒ文藝春秋

 かつて史料編纂所の5階にあった私の机は、書籍や資料の山に加えて、長年にわたり溜め込んだアイドル写真集やお宝グッズ、あるいはゴミにしか見えないような何かが堆積している魔窟として有名でした。でも昨年、所内で引っ越しがあったこともあり、定年に備える意味で少しずつ持ち物を整理していたので、今回の片付けは多少楽にはなっていたのですが、それでも本棚の奥から、若い頃に書いた修士論文が出てきたり、懐かしい資料が出てきたりするわけです。その都度、「もう、ここには来なくなるんだ」と、なんとも言えない気持ちになりました。

 当時の論文は文章だけでなく年表や表組も当然、手書きです。でも、それがいつの間にかワープロになり、パソコンになり、気づけばAIが文章を生成する時代になってしまいました。よく「今の1年は、昔の10年」と言いますが、私が史料編纂所にいた37年間の時代の変化は、歴史的スケールで言えば、江戸時代よりも長い、370年分です。それだけの大転換を、あの狭い部屋で味わったことになります。なんだか恐ろしい話ですが、37年という月日には、それだけの重さがあるんですね。

 とはいえ、未練があるかと言われると、まったくありません。今は“第二の人生”のはじまりに、ワクワクしています。

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source : 文藝春秋 2026年7月号

genre : ライフ ライフスタイル 歴史