是川銀蔵 最後の相場師の遺言は「証券会社がつぶれる」

吉岡 武夫 元丸荘証券副社長

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“相場の神様”是川銀蔵(これかわぎんぞう)(1897―1992)は平成4(1992)年9月12日、老衰で亡くなった。享年95。90歳を越えて現役を通した“最後の相場師”の生涯は波乱万丈だった。高等小学校を卒業すると、14歳で丁稚奉公に出て独学で経済を学び、34歳で株の世界に。時には数百億円もつぎ込み同和鉱業や住友金属鉱山などの大相場を手がけた。三田証券顧問の吉岡武夫氏は是川さん長年の取引先、丸荘証券の元副社長。※文藝春秋1998年12月号掲載

 

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 私が是川さんと初めて会ったのは、同和鉱業株を手がけたときですから、昭和52(1977)年頃です。大柄な是川さんは、カバンを下げていかにもおとっつぁんという感じで待ち合わせの赤坂東急ホテルの喫茶室にやってきました。

是川銀蔵 ©文藝春秋

 名刺を交換するなり私は、「なぜ同和鉱業なんですか」と訊ねたんです。それまでとは異なり是川さんは眼光鋭くなった。世界の銅の生産量から始まってソ連のアフガン侵攻で銅が品薄になる見通しや在庫量、各国の鉱山事情まで細かい数字を上げ、自分なりにまとめた統計を理論的に説明するんです。すでに是川さんは80歳になっていましたが、世界情勢や経済動向、会社の業績や資産など徹底的に調査・研究していて、長期的な相場観で株をやる人だなと感心しました。

 そもそも是川さんは“相場師”と呼ばれることを嫌っていました。「相場師というのは、ろくに調査も研究もせずに一か八かの投機的な考えで投資をする人のことを指す。私は断じて相場師ではない」とつねづね口にしていました。

 私が研究熱心さと用意周到さをまのあたりにしたのは、昭和56年の住友金属鉱山の仕手戦のときです。是川さんは日本経済新聞の「鹿児島に高品位の金脈発見」という小さな記事を読んだんです。戦前に朝鮮半島で鉱山開発の会社を設立して鉄鉱を掘ったり、製鉄所を経営してましたから、もともと鉱山についてはとても詳しかった。ですから鹿児島で金が採れるというのは昔から知っていたようで、「これはいける」と踏んで住友金属鉱山の株を少し買い、調査を始めたんです。

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source : 文藝春秋 1998年12月号

genre : ニュース 政治