2020年12月18日、萩生田光一文部科学大臣が神奈川県相模原市のJAXA・宇宙科学研究所(通称・宇宙研)を視察し、記者団に朗報を発表した。
「『はやぶさ2』が持ち帰ったカプセルに小惑星リュウグウで採取した砂粒が約5.4グラム入っていました。目標の0.1グラムをはるかに上回る50倍以上の量で、これは世界に誇る技術です」
人類が月以外の天体の物質を初めて持ち帰る偉業は「はやぶさ」初号機がなしとげたが、その物質(サンプル)は最大でも10分の3ミリにすぎなかった。それでも惑星科学者たちは大きな研究成果をあげてきた。それだけに科学者たちは、今回の1円玉6個の重量に満たないサンプルでも、ダンプカー満載の岩石に匹敵する量と思えただろう。
「はやぶさ2」がそのサンプルを採取したのは、直径わずか約900メートル、ソロバンの玉型の小惑星リュウグウだ。この小惑星は、生命に必須の炭素化合物を含む岩石からなるC型小惑星で、その砂粒を手にできれば太陽系の誕生ばかりか生命起源の解明にもつながると期待されていた。C型小惑星のサンプルリターンは、2003年に打ち上げた「はやぶさ」初号機からの悲願でもある。初号機は打ち上げが延期されたため、炭素質ではなくケイ素質のS型小惑星に目的地を変更せざるを得なかった。「はやぶさ2」は初号機から17年目にして悲願のゴールを果たしたことなる。「はやぶさ2」のプロジェクトマネージャ、津田雄一さん(45)に6年間のミッションと、今、その大きな成果をどう受けとめているのか聞いた。(インタビュー・構成=山根一眞)
津田氏(写真・高橋航太)
生命起源の解明につながる成果
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――5.4グラムもの砂粒にはただただ驚くばかりです。
津田 12月14日、カプセルのコンテナ内にこぼれた粉状の黒い物質を確認しましたが、プロジェクトチームはそれだけでも天地がひっくり返ったような喜びようでした。翌日、サンプルチームが撮った写真を見て、感動が体の芯から湧き出してきました。工学的には0.1グラムの採取を目指して開発した技術なので、それ以上の量への過度の期待はしていなかったんですが、「10年越しの勝負に勝った!」と絶叫したい思いでした。
――世界からも大きな反響が?
津田 「はやぶさ2」は独仏の宇宙機関が共同開発した小型探査ロボット「MASCOT」をリュウグウに届けていますが、そのチームからは、「あなた方は宇宙史の基礎ページを書きましたね」と。海外の「はやぶさ2」の科学者メンバーの一人は「5.4グラムはあまりにも多すぎるので、うちで引き取りましょうか?」というジョークで祝福してくれました。
――私はリュウグウのサンプルを待ち構えている国内のいくつかの研究拠点を取材していますが、惑星科学者たちは、喜びを超えて「一生かけても研究が終わらない」と、ぼう然としているかもしれません。
赤い流れ星は時間ジャスト
2014年12月3日、種子島宇宙センターから打ち上げられた「はやぶさ2」は、地球と同じように太陽を周回する小惑星「リュウグウ」の上空に505日間滞在し(ランデブー航行)、人類初となるいくつもの挑戦を続けた。そして2020年12月6日午前3時少し前、「はやぶさ2」から分離したカプセルは小惑星の物質を抱えて豪州・南オーストラリア州のウーメラ砂漠(WPA=国防省管轄区域)に着地した。
種子島宇宙センター
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――12月6日のカプセル着地はどんな思いで見ていましたか?
津田 現地からの報告を管制室で聞いていましたが、ゾクゾクしっぱなしでした。カプセルが大気との摩擦で高熱となり、火球、赤い流れ星として「見えた!」のが嬉しくて。その火球出現が計算と1秒と違わなかったからです。あの火球は、私たちチームが本当に正しく飛ばしていたことを証明しているんだと思って。そのあと高度10キロまで降下した段階で、カプセルが自分の位置を知らせるために発した電波信号をキャッチし、「ビーコン確認!」という大きい声が聞こえてからは、もうじっとしていられない思いでした。
――カプセルの電子機器は打ち上げから6年間、じっと待機し続けていたのによく動いてくれましたね。
津田 探査機から切り離し後に初めて機能する仕掛けですからね。チームには、打ち上げから6年後に電源を入れて確実に機能することだけに頑張ってきた技術者がいます。彼らも本当に嬉しそうでしたよ。
現地の回収チームは、新型コロナ対策のため日本で1週間、豪州で2週間ホテルから出られない日々を過ごしてから、あの砂漠でスタンバイし、見事に目的を達成してくれました。深く感謝しています。
カプセル分離はカーリング
――カプセルが「はやぶさ2」から分離したのは着地の12時間前、地球と月の距離の半分より遠い22万キロ地点でした。その分離後に、カプセルは軌道修正を一切行わずウーメラの目標ポイントにぴたりと着地。なぜそんな神業のようなことが可能なんですか?
津田 そこは私がずっと取り組んできた軌道力学の面白いところです。ポイントの第1は「はやぶさ2」の軌道を事前にいかに精度よく知るか。第2は、探査機をいかに高速で地球に接近させるか、です。萩生田大臣からも同じ質問を受けましたが、カーリング競技と同じです。カーリングでは、選手がストーンとともに滑りながら初速を調整して狙いを定め、そっとストーンを放しますよね。探査機も超高速で標的に向かって正確に進んでいれば、そっと分離したカプセルも正確に標的に向かっていく。つまり「分離時」や「分離後」ではなく「分離前」の軌道補正が大事なんです。
着地点の標的に狙いを定め、探査機がイオンエンジンを噴いて行った最初の軌道補正は9月17日、地球から3600万キロ(地球と月の距離の94倍)の地点でした。そして4回目、最後の軌道微調整は5日前、月への距離の4.5倍の位置で行っています。その最後の軌道微調整の結果に自信を持てたので、地球から22万キロの地点で、カプセルを留めていた部品を火工品(火薬)で切断し、そっと放したんです。計算通りに分離できた時は実に気持ちがよかったです。
――普通の人が絶対味わえない究極の快感ですね(笑)。軌道に関しては、JAXAの専門家に加えて富士通やNECのエンジニアたちの貢献も大きかったでしょう。
津田 企業メンバーとは、単なる契約ではなくチームの一員としての強い絆を感じていました。NECや富士通のメンバーは、日中に「はやぶさ2」から得たデータをもとに夜中に軌道の計算をし、翌日、「はやぶさ2」へ「こういう軌道をとれ」という指令を作成していましたから、「寝食を共にした仲間」という感覚です。彼らは、時間がなくても精度に自信がなければ納得いくまで答えを出し直す、まさにプロフェッショナル。軌道計算はJAXAチームも行っていたので、企業チームとの技術力の競い合いは何とも壮絶で、楽しかったですね。2社に限らず多くの企業スタッフが参加していましたが、彼らのプロフェッショナル精神、技術への真摯さはいくら敬意を払っても払いきれません。
娘が校長室に呼ばれた
津田さんは1975年(昭和50年)広島県生まれで、幼少期から宇宙科学研究所がある相模原市で育った。「はやぶさ2」の打ち上げ時に宇宙科学研究所の宇宙飛翔工学研究系准教授となったが、プロジェクトマネージャ就任は打ち上げの翌年、2015年4月だった。
宇宙科学研究所は1955年、東京大学生産技術研究所教授でロケットの父と呼ばれる糸川英夫博士(1912~1999)によって活動を開始した。発足からわずか15年後には、日本初、世界で4番目となる人工衛星「おおすみ」の打ち上げに成功。偶然だが2020年はその50周年に当たっていた。
津田さんは東京大学に入学後、同大学院で小型衛星の神様と言われる中須賀真一教授のもとで宇宙工学、衛星工学を学んだ。ちなみに中須賀さんから津田さんへのお祝いの言葉は、「がんばったね、それ以上の言葉が思いつかない」だったという。2003年に博士号を取得後、「はやぶさ」初号機打ち上げのこの年に宇宙科学研究所に入所している。
その大学院時代に知人の紹介で同年齢の女性と知り合い結婚。妻はフラワーアレンジメントの先生をしており、中学1年と小学校2年の女の子、幼稚園年中さんの男の子、3人の子供のパパだ。
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source : 文藝春秋 2021年2月号