「うーん、そうか……なるほど……ああ、そうだ、そうだ」
7月号に掲載された橘玲さんの「臆病者のための新NISA活用術」のゲラを読んでいた時、頭の中でいろいろなことがつながって合点が行きました。
年初から始まった新NISAの大ヒット。投資後進国と言われ続けた日本でも、数年前だったら信じられないような、資産運用ブームがにわかに巻き起こっています。利益に対して一切無税というオトクな制度ではあるので、投資を始めた方も多いでしょう。私の身の回りにもこれを機に始めた人がちらほらいました。
3月には日経平均株価が4万円を超え、小誌でも何か投資に関する特集をやってみたいと思うようになりました。
そこで、投資術にも明るい作家の橘玲さんに相談したところ、「新NISAについて、『こんなふうに考えればいいよ』というような原稿なら書けると思います」という返事をいただき、ぜひとお願いしたわけです。
新NISAといえば、私の中では、政府が20年くらい前から旗を振っている「貯蓄から投資へ」の何番煎じ、しょせんは「政府の株価対策」じゃないのというイメージしかありませんでした(頭にうかぶのは、小泉政権時代の竹中平蔵金融大臣が「貯蓄から投資へ」と采配を振っていた姿)。
ところが橘さんは意外なことに、今から5年前、日本中で大ブーイングを呼んだ「老後2000万円不足問題」から原稿を始めているのです。
〈日本人の価値観の大きな転機は、2019年に金融庁が公表した報告書「高齢社会における資産形成・管理」だろう。
金融庁のこの報告書では、年金のみで暮らす高齢夫婦世帯の平均をもとに、「老後20~30年間で約1300万円~2000万円が不足する」と試算された。これがパニックのような騒動を引き起こしたのは、「老後の面倒は国が見てくれる」という暗黙の了解が否定されたと多くの国民が感じたからだろう。
報告書の趣旨は、老後を安心して暮らすには国民一人ひとりの資産形成が重要だといういたって真っ当なものだった。冷静に考えれば、人生100年が現実のものとなりつつある超高齢社会で、「20歳から60歳まで40年間積み立てた年金保険料で、60歳から100歳までの40年間の生活がすべて賄える」などといううまい話があるわけがない。
こうして、「新しい資本主義」を掲げる岸田政権でNISA制度が大幅に拡充されたときには、もはや「金持ち優遇」などという声はどこからもあがらなかった。バブル崩壊後の「失われた30年」は戦後日本の多くの常識を掘り崩していったが、年金のみに依存した老後の人生設計がもはや成り立たないという“不都合な事実”も、ようやく受け入れざるを得なくなったのだ〉
2019年当時は大騒ぎでしたから、小誌でも金融庁の報告書を作成したワーキング・グループの座長に取材を申し込んだり、座談会を組んだりしたことを思い出しました。
座談会は「年金崩壊 すべての疑問に答える 『自民党』vs『ミスター年金』vs『金融庁委員』徹底討論」として掲載されましたが、張本人の座長は、世間の批判に恐れをなしたのか、小誌はじめメディアの取材をほとんど受けませんでした。私は「座長なら取材を受けるのも込みだろう、情けないなあ」と思った記憶もありますが、それほど批判はすさまじかったのです。
しかし、あの時の座談会でも出席者が指摘していたように「老後2000万円不足問題」は、事実を明らかにしたにすぎませんでした。計算すれば、年金だけでは老後の生活設計は成り立たないのは誰も否定しようのないことだったのです。政府はいまも「100年安心年金」のカンバンを下ろしていませんが、金融庁の報告書は、政府の「年金崩壊宣言」と言っていいものでした。
さて、今回、新NISAを繰り出したのも、その金融庁です。橘さんがズバリそう書いているわけではありませんが、新NISAを年金不足の「補填」と考えれば、政府の大盤振る舞い(株式やファンドの配当・分配金や譲渡・売却益は非課税)も合点が行きます。
そう思いながらゲラを読んでいると、2019年の金融庁の報告書の中身が気になってきたので、くだんの2000万円不足の箇所を探してみたら、なんとNISAについて次のように触れているではないですか。
〈収入と支出の差である不足額約5万円が毎月発生する場合には、(略)30年で約2,000万円の取崩しが必要になる。
支出については、特別な支出(例えば老人ホームなどの介護費用や住宅リフォーム費用など)を含んでいないことに留意が必要である。さらに、仮に自らの金融資産を相続させたいということであれば、金融資産はさらに必要になってくる(略)。
この点、わが国でも後述するつみたてNISAやiDeCo等が整備され、個人が長期の資産形成を行うに際して、制度的な環境が整いつつある〉
もしかすると、今回の新NISAは、あの「老後2000万円不足」報告書のリターンマッチなのかもしれない。あえて金融庁の心理を読み解けば――年金不足は相変わらずなんで、そのぶん新NISAをつかって自己責任で資産形成をやってくださいよ――ということではないのか。
そんな連想が浮ぶのも橘さんのおかげです。橘さんの文章の魅力は、独自のインテリジェンスが必ずあることです。単なる情報=インフォメーションではなく、状況を判断したり理解を深めるために役立つ情報=インテリジェンス……昨秋の「イーロン・マスク論」もそうでした。GAFAについて書かれた物は数あれど、創業者たちを超人「X-メン」と捉え直したところに、橘さん独自のインテリジェンスがあります。
今回の原稿も年金と絡めた視点がとても新鮮で、私は思わず「うーん、そうか……なるほど……ああ、そうだ、そうだ」となったのでした。
新NISAを始めようか迷っている方、あるいはもう始めた方にも、「臆病者のための新NISA活用術」はぜひおすすめです。新NISAの見方が変わります。
(編集長・鈴木康介)
source : 文藝春秋 電子版オリジナル