三沢光晴が今も台湾のプロレスファンの心を掴んで離さない理由

長谷川 晶一 ノンフィクションライター
エンタメ スポーツ 読書
台湾人作家・林育徳氏の一風かわった小説が、日本に上陸した。タイトルは『リングサイド』、触れ込みは「中華圏初のプロレス小説」である。書店に積まれるや、さっそく反響をよんだのは表紙である。鬼の形相で対戦相手にエルボーを打ち込んでいるプロレスラーが描かれている。エメラルドグリーンのロングタイツ——その姿はどう見ても三沢光晴なのである。それにしても一体なぜ、三沢が台湾の小説に? 『2009年6月13日からの三沢光晴』の著書もあるノンフィクションライター・長谷川晶一氏が、台湾の花蓮市在住の林氏に訊いた。
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林氏

『プロレス小説』が中華圏になかった

 2009(平成21)年6月13日、試合中の不慮の事故で三沢は逝った。彼の死からかなりの時間が経過した。なぜ今、三沢なのか、どうして台湾人である作者・林育徳は日本のプロレスをテーマに小説を書こうとしたのか?

「台湾では今でも三沢光晴は人気があります。彼のファンである台湾人はとても多い。もちろん、僕も大好きです。プロレス小説を書いたのは中国語で創作されたプロレス小説がなかったから。日本やそのほかの国では『プロレス小説』というジャンルが成立しています。でも、中華圏ではまったく見当たらない。そういう本があれば、僕は絶対にむさぼるように読んでいました。だから、ある意味ではこの作品は自分に読ませるために書いた小説でもあります」

 本作品は10編の短編からなる連作小説だ。それぞれの短編にそれぞれの主人公がいて、彼ら、彼女らの人生にプロレスがほんの少しだけ、あるいは多大な影響を及ぼしている様子が描かれている。本書に通底しているのは、プロレスの持つ「リアルとフェイク」、つまりは「真実と虚構」をさまざまな形で描こうとしている点にある。

「プロレスを好きな人たちはプロレスの持つ魅力にどっぷりとハマっています。でも、プロレスに興味のない人たちは、“プロレスは初めから試合結果が決まっている”とか、“プロレスはウソだ”ということが多い。こうした意見に対する反発というのも、私がこの本で書きたかったことです。プロレスがフェイクであるならば、どうして選手たちは致命的な故障をしたり、ときには三沢のように若くして亡くならねばいけないのか? プロレスに対する理解の手助けとなれば、そんな思いは強くありました」

 例えば、第18回台北文学賞小説部門大賞を受賞した『ばあちゃんのエメラルド』という一編がある。日本のプロレス中継を何度も何度も再放送する専門チャンネルで、生前の三沢の試合を見ることを楽しみにしている「ばあちゃん」とその孫の物語だ。三沢の試合に夢中になっている祖母を見て、孫は思う。

――ばあちゃんは、三沢が死んだことを知らないのではないか?

 こうして、「ばあちゃんに三沢の死を告げるべきかどうか?」で孫は煩悶することになる。この短編の中で、孫は「テレビのプロレスはぜんぶ芝居だ」とばあちゃんに告げる。するとばあちゃんは平然と言い放った。

「知ってるよ。私らは“わざ”を観てるのさ、勝ち負けじゃないよ」

 こうしたセリフが本書には頻繁に登場する。登場人物がそれぞれの「プロレス観」を披歴する。その一つ一つが、プロレスに対する愛情と敬意に満ちている。

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エメラルドグリーンのロングタイツが三沢のトレードマークだった ©︎文藝春秋

「10編の短編を自分で分析してみると、第1話から第10話まで、少しずつプロレス濃度を高めています。まったくプロレスに興味がない人でも抵抗なく楽しんでいけるような工夫です。そして、最後まで読んだときにプロレスがどういうものであるのかを理解し、プロレスの魅力を感じられるようにしたつもりです」

 さらに、林育徳氏は続ける。

「真実と虚構について、どのように判断するのかは読者に任せたいです。でも、人生自体も何が真実で、何が虚構、ウソなのかは曖昧でハッキリとわけられるものではないと私は思います。リングにおいてプロレスラーが裸と裸でぶつかり合う姿、そこにどんなストーリーがあるのか。それもまた人生の縮図なのではないでしょうか?」

好きな日本人作家は村上龍

 改めて、本書の作者である林育徳氏について紹介したい。1988年、台湾・花蓮で生まれた彼は、地元の花蓮高校を卒業した後に、3つの大学を転々とし、6年かけて卒業。当時から詩作を中心に創作活動に励んでいた。詩作の世界でさまざま賞を獲得した彼は、その後、東華大学華文文学研究所(大学院)に進んだ。台湾文学の若き巨匠・呉益明氏に師事し、初めて小説執筆に取り組む。大学院の卒業制作として、書き進めたのが本書『リングサイド』である。

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