ファイターズの選手たちに何を仕掛けたか
新庄剛志がグラウンドに現れた。新しいシーズンの足音が聞こえる2月中旬、沖縄キャンプのある朝のことである。名護湾は凪いでいて、穏やかな風が吹き抜ける外野の芝生では野手たちがウォーミングアップを始めていた。それに合わせるように打撃投手たちはホームベース付近で肩慣らしをしている。同じ帽子をかぶり、同じウェアを着た者たちがグラウンドには大勢いるが、新庄だけはひと目で分かる。1人だけ色の違うキャップからはブロンドの襟足が覗いていて、サングラスとシューズの装飾が朝陽を受けてキラキラと光っている。
まるでロックスターのような新庄はこのチームの監督である。就任して5年目を迎えた。ただし、プレーヤーの頃からそうだったように監督然としたり、野球人然としたりすることはない。打撃ケージの裏にどっしりと立っていることはなく、「いいか、お前たち」と号令することもない。全体主義とは対極の佇まいは昔も今も野球界で比肩する者のない個性だ。重厚な歴史を誇るクラシカル芸術の中に、そこだけ全く別の色彩で塗られたポップアートのようである。そんな異端の指揮官のもとでチームは劇的な変化を遂げてきた。2022年の最下位から始まった集団は今、リーグの優勝候補に挙げられている。何より、無名だった若者たちが個性を解放し、世に名を知られるようになった。

問題は何が起こったか、新庄が彼らに何を仕掛けたかである。
証言者 郡司裕也(28歳、捕手)
名護の球場ではバッティング練習が始まろうとしていた。郡司はバットを手にグラウンドへ出た。すると新庄がふらりと歩み寄ってきた。何か打撃についての指摘があるのだろうかと身構えたが、新庄は1月分の給与の振り込みはあったかと訊いてきた。
前年シーズンの郡司はほとんどの試合に出場し、クリーンアップを打った。推定年俸は5500万円から倍増し、俗にいう大台に乗った。プロ野球選手は年俸という形で報酬が決まるが、支払いは月ごと12等分に割って支払われるため、選手が最も自分の価値を実感するのは、新しい年の1月分の振り込み額を見た瞬間なのだ。新庄はそのことを言っていた。
郡司が頷くと、新庄は微笑み、「気持ちええやろ」とグータッチをすると、高らかに笑いながら去っていった。
一体、何を伝えたかったのだろうか。そもそも何かを伝えようとしていたのだろうか。郡司は不思議な気持ちになった。もちろん新庄はきめ細かな洞察に基づいて、プロ同士にしか分かり得ない技術的アドバイスをくれることもあるが、時折こうして、この仕事について、あるいは人生について考えさせるような一言を残していく。振り返ってみれば、初めて会った日もそうだった。
もともと郡司は名古屋を本拠地とする中日ドラゴンズの選手だった。東京六大学野球の三冠王として、慶應大学からドラフト4位で入団した。だが周囲の期待に反して、プロ入りから3年間をほとんど二軍で過ごした。
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