樺美智子 徹夜で勉強してからデモや集会に出かけた妹

樺 茂宏 樺美智子の兄
ニュース 社会

 樺美智子(かんばみちこ)(1937―1960)は樺俊雄(社会学者)、光子夫妻の長女として東京で生まれる。東京大学文学部に進学し自治会委員となる。日本共産党に入党するが、反代々木の共産主義者同盟(ブント)結成と同時に加盟。昭和35(1960)年6月15日、ブント系全学連の一員として国会に突入しようとして、警官隊と学生たちの衝突の中で圧死する。60年安保闘争のシンボル的存在となった。
 茂宏氏は兄。

 妹の美智子が東大の自治会副委員長として、60年安保のデモ隊の先頭に立って国会突入をはかり、警官隊と激突して死んだ6月15日、東北大の助手をしていた私は仙台市内の下宿にいました。すでに夜になっていましたが妹のことを友達から教えられ、市役所前で開かれていた抗議集会に顔をだしました。女子大生が国会へのデモ中に大怪我をして重体であるとか死亡したとか情報が乱れ飛んでいました。そこで女子学生の名前は「かんば……」と話しているのを聞いた気がします。

樺美智子の遺影を掲げる活動家たち ©時事通信社

 私はいったん寮に戻り友達がカンパしてくれた金を持ち、その晩遅く夜行で仙台を発ちました。家に帰りましたが、父母は妹の検死にたちあうため警察病院にいっており、私も病院にかけつけました。病院で父と母に会いましたが妹はすでに棺に入れられており、ただ呆然としている父母とはそのとき一言も口をききませんでした。

 私は弟と妹の三人兄弟ですが、私や弟は父の後を継ぐ気がなく、私は東北大の工学部に進んでしまいました。ですから子どもに後を継いで欲しかった父は、妹が文学部に入学したときには大変喜びました。妹は父の良い話相手だったと思います。

 父は私たちの希望する方向へ自由に進ませてくれました。しかし、父は学生たちを支持していなかったわけではありませんが、子どもたちが学生運動に加わることに反対していました。私は父の反対や技術系だったこともあり、当時の学生運動には興味がありませんでした。夏休みや正月に家へ帰ったときも、妹から学生運動に関する話は一度も聞いたことはありません。

 東京と仙台とに離れていたこともありますが、妹が学業以外に何か忙しそうにしているのを見て、学生運動に多少は関わっているのかなと思っていた程度です。ただ、妹は勉強を投げ出してクラブ活動や学生運動に熱中してしまうタイプではなく、忙しくしていても徹夜で勉強し、翌日出かけるという超人的な生活をしていました。

男勝りの“女番長”

 私と妹は3歳離れていますが、私の高校時代、家族は父が神戸大学の教授をしていたため芦屋に住んでおり、私は東京の叔父の家から高校に通っていました。ですから、妹の中学、高校時代はよく知りません。ただ、幼稚園や小学校時代はリーダーシップをとって、クラスの中心人物でした。私からいわせれば、男勝りの“女番長”といった感じでした。とても正義感が強く、腕白な男の子たちが女性教師をいじめていると、怒りを感じてとめに入ったりしていました。人に負けるのが嫌いで、勉強でも人一倍頑張っていました。

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source : 文藝春秋 1989年9月号

genre : ニュース 社会