日本の左翼 100年間の黒歴史

日本左翼100年の総括② 

池上 彰 ジャーナリスト
佐藤 優 作家・元外務省主任分析官
ニュース 社会 政治 昭和史

闘争、リンチ、内ゲバ、そして自己正当化…

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池上氏(左)と佐藤氏(右)

左翼は「全人民の武装化」を目指す

 池上 さて、ここからは時代を遡り、日本における左翼思想100年間の歴史を遡ってみたいと思います。

 その前に、普段なにげなく使っている「右翼」「左翼」の語源について、確認しておきましょう。これはフランス革命期の1792年に招集された国民議会に由来します。議長席から見て左側には、王権をアンシャン・レジーム(旧体制・時代遅れ)と見なして打倒を目指す急進派が陣取った。一方、右側には王党派を中心に体制維持を考える人たちが陣取った。この構図が始まりです。

 佐藤 左翼の特徴は、何よりも理性を重視することです。完全情報が与えられた条件下で理性を正しく運用すれば、誰しもが同じ結論に至るはずである、と。理性に立脚すれば、理想の社会を構築できると考えます。

 対する右翼は、理性が不完全なものだと考える。人間はみな文化や環境によって一定の偏見を持ち、誤謬も犯すので、それが理性を超えてしまう場合のほうが多いと。だから、教会や王などの存在理由は合理的な説明ができないけれど、長い歴史のなかで存在しているのは、そこに人知を超えた何かしらの英知があるからであって、尊重しないといけない、という発想です。

 また、これは日本では意外と軽視されている特徴ですが、左翼は「全人民の武装化」によって権力に対抗することを目指します。武装する権利を人民によこせ、と。究極的には国民皆兵ですね。一方の右翼は職業軍であり、暴力装置はプロに任せようとします。

左翼に流れた「ならず者」

 池上 そうした視点をもとに、日本の左翼の黎明期を見てみましょう。

 明治維新以降、欧米からさまざまな思想が日本に流入しました。マルクス主義以前は、おもに自由民権思想や啓蒙主義が日本の知的エリートに広まります。日本の左翼の源流はそのあたりでしょうか。

 佐藤 その時期に重要な役割を果たした知識人として、中江兆民がいます。

 池上 なるほど。中江は『三酔人経綸問答』を著し、政治家であり、自由民権運動の理論的指導者でもありました。フランス革命の理論的支柱だった思想家ジャン=ジャック・ルソーを、日本に紹介したことから、「東洋のルソー」とも評されましたね。

 佐藤 中江は20代の頃にフランスに渡り、1871年に成立した労働者たちの自治政府、パリ・コミューンを目撃しています。そこで左翼思想の影響を受けたのかもしれない。当時、西欧思想の用語はそのほとんどを啓蒙思想家の西周が翻訳し、「philosophy」も「哲学」と訳したのですが、中江は「理学」と呼んでいました。中江が理性を重視していたことが窺えます。

 もっとも中江にはアイロニーやユーモアもあって、国会議員になったもののアルコール依存症になってまともな判断ができなくなったという口実で辞職しています。何となく国家権力を小馬鹿にしたような話ですが、これは非常に示唆的で、日本の左翼は中江のように明治維新の中でエスタブリッシュされなかった人々の集まりという側面もあるのです。例えば、自由民権運動が暴力化した結果、警察に鎮圧されて挫折を味わった人とか、あるいはキリスト教に救いを求めたけれど、そこからもあぶれてしまった人とか。

 池上 当時のキリスト教は、野党的な勢力を吸収する役割を担っていて、有名なキリスト教信者も旧佐幕派が多かった。つまり薩長土肥体制との権力闘争に敗れて、軍や官僚の出世街道を登れなかった人がキリスト教に流れ着いていく。左翼は、さらにそこからも外れた人を取り込んでいたというわけですね。

 佐藤 ええ。喧嘩っ早いとか、女癖が悪いとかでキリスト教会にいられなかったような人も左翼に流れ着いている。そんなところが面白いですね。

アナキズムの敗北とマルクス主義の勝利

 池上 そして1917年にロシア革命が成立すると、いよいよ日本にもマルクス主義が入ってくる。

 佐藤 当時の日本の左翼の特徴として興味深いのは、1920年代にアナ・ボル論争が繰り広げられ、早々に無政府主義(アナキズム)がマルクス主義(ボルシエビズム)に敗れ、決着がついてしまったことです。それ以来、日本の左翼はマルクス主義の独壇場になった。これほど早い段階でアナキズムが衰退した国は世界的に見ても珍しい。

 池上 たしかに、世界ではいまだにアナキズムが生きています。つい最近も2018年にフランスで燃料税引き上げに反対する「黄色いベスト運動」や、ドイツの反ファシスト運動に起源をもつ「アンティファ」のグループが、アメリカでトランプ大統領支持層と衝突している。これらはいずれもアナキズムの流れを汲んでいます。

 佐藤 日本の場合はそうした異議申し立て運動が、すべてマルクス主義に取り込まれていった。

 池上 そして、前章でも触れた「労農派」と「講座派」という2つの派が、日本資本主義論争をはじめ、切磋琢磨しながらお互いの知的レベルを高めてきた。これも日本における左翼の特徴でしょう。

 佐藤 1928年に労農派のメンバーが改造社から『マルクス・エンゲルス全集』を翻訳出版していますが、全集が出たのは日本が世界初でしたからね。当時の左翼知識人がいかに貪欲に思想を吸収しようとしていたかがわかります。知的エリートによる激しい論争が交わされるうちに、マルクス主義は経済にとどまらず、哲学や歴史、文学などにも広がりを見せて、次第に保守系の知識人にまで影響を与えた。

 だから、当時はマルクス主義の用語を使って知的な操作をすることがインテリの証明みたいな雰囲気もありました。その風潮は1930年頃から始まり、80年代に『構造と力』で登場した浅田彰さんがフランス現代思想を紹介するまでは、ずっと続いていたと思うんですね。

 池上 丸山眞男や加藤周一、鶴見俊輔など、いわゆる「進歩的文化人」が恰好よかった。とくに戦後は朝日新聞や岩波書店の『世界』に登場することがステータスとされていて、「朝日岩波文化人」なんて呼称もありました。今ではこの言葉は揶揄でしか使われませんが。

 当時の大学では日本ならではの不思議な現象が起きていて、例えば、東京大学の経済学部ではマクロ経済やミクロ経済を扱う近代経済学よりも、マルクス経済学の方が幅を利かせていました。東大生はマルクス経済学を学んで霞が関のキャリア官僚になり、その観点から様々な経済政策を行っていた。

 佐藤 もっとも、そこにはプラスの面もありました。資本主義は基本的に管理通貨制度ですが、管理しきれない不確実性が潜んでいる、というのがマルクス経済学の要となる主張です。だから、マルクス経済学を学んだ官僚たちは自らの金融政策には限界がある、市場経済など操作できない、と自分の領分を弁えていました。

 また、共産主義者のロジックやその危険性も知り尽くしていましたから、学んだ知識を最大限に使って、起こり得る革命を阻止しようとしていた。今のウクライナ戦争では、ロシア側のロジックに誰も関心を持ちませんが、逆に当時の官僚やエリートたちは過剰なくらいソ連の動向に注意を払っていましたね。

「転向」は裏切りなのか?

 池上 もう一つ、日本ならではの現象として「転向」があります。非常に先鋭的だった左翼が、逮捕を機にコロッと変わってしまう。

 最も有名なのは1933年、治安維持法違反で逮捕された第二次共産党中央委員長の佐野学が、党幹部だった鍋山貞親とともに、獄中から転向声明を出したことです。「共同被告同志に告ぐる書」と題し、コミンテルンからの指導を受けて共産主義運動を行うのは間違いであるとして、コミンテルンからの離脱を呼びかけます。さらには天皇制の受容や日本一国だけでの社会主義の実現など、これまでの共産党の路線とはまるで異なった主張をしました。結果、2人は無期懲役刑だったのが、懲役15年に減刑されて出獄しています。

 佐藤 この転向声明の衝撃は絶大で、当時の党幹部だった田中清玄や作家の中野重治などが、相次いで雪崩をうつように転向しました。

 池上 「転向」という言葉には、どうしても裏切者というニュアンスを感じてしまいますが、本人たちの中では異なる心理が働いていたようですね。逮捕されて獄中にいると、敗北感に打ちひしがれ、自己否定してしまう。その中で何とか自分を正当化したいと。

 佐藤 むしろ「転向」よりも「発展」という言葉の方が相応しいのかもしれません。佐野や鍋山は獄中で、日本土着の伝統にもとづいた革命を起こすべきだという発想に至り、そのためにはコミンテルンに従うのは間違いだと考えた。これは革命の目標自体を否定しているわけではないですから。

宮本顕治が拷問された「樫の棒」

 池上 実際、拷問で殺されたり、獄中で病死したりした以外は、逮捕された共産党員は大半が転向しています。

 ただ、一方で転向せずに、長きにわたる獄中生活に耐えた者もいた。そうした人々が戦後に出獄してきて、今の共産党の指導者になった。例えば先ほど出てきた徳田球一、あるいは1958年に共産党書記長になり、以後40年にわたり指導者であり続けた宮本顕治などもそうですね。彼は12年にわたり獄中生活を送っています。

 佐藤 「転向」という言葉は、共産党指導者たちが自らの正統性を喧伝するために、組織を離れた人々に貼った負のレッテルという側面があると思います。

 池上 そもそも宮本が逮捕されたのは、1933年の「日本共産党スパイ査問事件」での容疑によるものです。当時、共産党中央委員だった小畑達夫と大泉兼蔵が特高警察のスパイであるとして、宮本ら他の中央委員が渋谷区幡ヶ谷のアジトに、2人を誘い出し査問を行った。手足を縛り、目隠しと猿轡をして監禁。さらにリンチによる暴行も加えたとみられ、その過程で小畑は急死してしまいます。その後、宮本らは、小畑の遺体をアジトの床下に埋めてしまったのですね。

 佐藤 宮本は小畑が特異体質による急性の心臓死だったとの主張を崩さず、最後まで黙秘を貫きました。ただ、たとえ急性の心臓死であったとしても、アジトの床下に遺体を埋めるのは、明らかに死体遺棄で犯罪ですからね。出獄後も宮本は、「申し訳なかった」とか「仕方なかった」といった謝罪や申し開きは一切していません。宮本自身いろいろと考えを巡らせたのでしょうが、せめて何かしら言葉を発するべきだったと思います。

 池上 宮本は小畑という1人の人間の死に対する言葉も封印する姿勢を取り続けたわけですね。「無謬」神話を維持するための判断なのだと推察されますが、ここに共産党ならではの体質が現れているように感じます。

 佐藤 宮本が獄中を回想したエッセイ『網走の覚書』は文学としても傑作ですが、そこに収録された作品の中で苛烈な拷問のシーンが出てきます。特高警察の課長から「おい、この前すごくいい樫の棒があったからとってある。世界一の警視庁の拷問を教えてやろうか」と言われ、さんざん殴られたとか、「椅子の背に後手にくくりつけ、腿を乱打する拷問を繰り返し、失神しそうになると水をかけた」といったことも書かれている。読んだだけで恐ろしくなる描写ですが、宮本はなぜか自慢げに書いています。

 池上 宮本は文学者としても優れた才能を持ち、「改造」の懸賞論文に「『敗北』の文学」を応募して見事1等を取っています。ちなみにこの時の2等が文芸評論家である小林秀雄の「様々なる意匠」でした。

 佐藤 一方、当時の特高警察には緩い側面もあって、獄中で深く反省していれば、すぐに出獄させてくれるケースもあったようです。宮本の『網走の覚書』にも、刑務所の課長が宮本に対して「どうも戦局は君たちの方向に動きそうなので、いざとなった時には中立国のソ連に逃げないといけない。その時はよろしく頼む」と半ば冗談、半ば本音の告白をしている。

 網走刑務所に移送された時にも、刑務官に「この野郎、態度が悪い!」とビンタをされたので、宮本が看守長に面談を申し入れると、その後は殴られなくなったとの記述も出てきます。

 池上 特高警察が党員に対して教え諭し、心変わりさせることもあったようですね。いわば善導に近いものですが、これも「転向」を考える上で重要なポイントです。

 佐藤 1938年、同志社大学教授でドイツ文学者の和田洋一が、プロテスタントのキリスト教徒なのに共産党の同調者と疑われて逮捕されたことがあります。彼は『灰色のユーモア 私の昭和史』という著書で、その際のことをユーモラスな筆致で描いています。

 ある日、特高警察からおでんを食べに行こうと誘われ、そこで突然「先生、戦わんといかんですよ。先生は共産主義とは関係ないのに、警察の言うことを全部飲み込んでいる。これじゃあ、ご先祖様に申し訳ないですよ」と言われたと。挙句の果てに「今夜、留置場に帰ったら、睾丸きんたまのシワでも伸ばしてよく考えることですな」と何とも不思議な助言を受けている。国家権力が案外ゆるかったという面を物語る、貴重な証言です。

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宮本顕治

講座派が作った「日本特殊論」

 池上 さきほど紹介した佐野・鍋山の転向声明の中には「天皇制の受容」があり、それが当時の左翼に非常に大きな衝撃を与えたという話がありました。

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source : 文藝春秋 2022年8月号

genre : ニュース 社会 政治 昭和史