「核の選択」清水幾太郎を読み直す

片山 杜秀 評論家
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42年前、日本の核武装を訴えた知識人がいた──。
片山杜秀氏 (2)
 
片山氏

戦後のタブーに触れた

 日本には核兵器が必要だ。世界の現実を前にすればあまりに明らか。それなのに「非核三原則」になおこだわるのか。平和主義的・性善説的夢物語にとらわれず、この世のありのままを素直に見よう。

 最近の情勢に触発されての台詞ではない。もう40年以上前にそう宣言した人が居た。清水幾太郎という。戦後日本のオピニオン・リーダーのひとりにして、社会学の泰斗。彼は、1980(昭和55)年5月、『日本よ 国家たれ』を刊行した。自費出版の小冊子である。時に72歳。3000部作って、まず当時の細田吉蔵防衛庁長官や同庁の幹部に贈呈した。また、保守系の政治運動団体で、元号法制化に力を発揮したばかりの日本青年協議会に大部数を寄附した。すると、機を見るに敏。文藝春秋の雑誌「諸君!」が動いた。7月号に小冊子の全文を掲載できないか。清水に提案した。

 そもそもなぜ自費出版だったのか。くりかえせば、清水は論壇の大物だ。戦時期には、三木清の引きがあって、近衛文麿のブレーン組織、昭和研究会で活躍した。新聞や雑誌に、この非常時にも最大限の近代的理性を保って振る舞おうという、ギリギリの論調を保ちつつ、書き続けた。戦争が終わると、戦後民主主義のヒーロー、平和と反戦の社会運動の旗手として、絶大な影響力を誇った。左派・リベラル的な希望の星としてのイメージは1960(昭和35)年の安保闘争で絶頂に達し、以後、急速に萎んだ。言うことが急に変わったように受け取られた。平和の理想を謳わなくなったと思われた。世間は“右旋回”したと形容した。論壇で清水はしばしば悪役に回った。でも保守論壇もある。『日本よ 国家たれ』も、初めから既成のジャーナリズムを通して発表しようとすれば、すぐ出来た。でも、そうしなかったのは、読ませる相手を選びたかったからだろう。日本の核武装の必要性に踏み込む。戦後のタブーに触れていた。しかもそれを言うのが、60年安保までの反戦知識人の代表なのである。

 ところが、小冊子の反応は思いのほかよかった。あちこちでたくさん複写され、読者は小なりといえども一般層にまで広がりつつあるようだ。清水は自信を得た。「諸君!」の提案を快諾した。

 そのとき、編集部は目立つ細工をした。『日本よ 国家たれ』は日本の核武装の話ばかりを書いているのではない。ところが「諸君!」は、文章全体のタイトルを、オリジナルでは見出しのひとつに過ぎなかった「核の選択」とし、「日本よ 国家たれ」をサブ・タイトルに回した。これが利いた。「諸君!」はあちこちの書店で売り切れた。高校生だった私も入手にてこずった覚えがある。

 たちまち話題沸騰した。9月には文藝春秋から単行本が出た。題名は『日本よ 国家たれ』に戻り、「核の選択」は副題として小さく添えられるかたち。この本を軸に、未来の日本の自立と防衛が語られてゆく。そんな気配があった。でもブームは案外と短かった。なぜか。単行本になって4ヶ月で、アメリカの大統領が弱腰の人から強腰の人に替わったからである。それに伴い、『日本よ 国家たれ』の根っこにあった清水の心配が、とりあえず消えてゆくように思われたからである。

 はて、清水は1980年に何を心配して、日本の核武装を言い出したのか。そもそも清水はとても心配性であった。国が滅亡し、生活が崩壊し、この世が唐突に廃墟と変わることを恐れて、夜も眠れない。ヒステリックに吠え出す。言わば弱い犬。そういう性質が清水の学問と言論を特徴づけていた。

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清水幾太郎

震災体験が生んだ「弱い犬」

 いつからそうなったのか。中学生のときだろう。清水は1907(明治40)年、東京は日本橋区の薬研堀の生まれ。先祖は旗本というが、御一新で祖父の代から竹屋を始めた。武家から下町の職人階級に“転落”した。立派な庶民だ。竹を割ったように生一本なのが江戸っ子だとすれば、大川端で竹を割って暮らす清水家こそ、江戸っ子の中の江戸っ子かもしれない。

 だが、その生活は中学3年生の2学期の始業式の日に激変する。1923(大正12)年9月1日。関東大震災だ。清水家は家財のすべてを喪う。逃げて行こうにも頼れる地方の親類縁者もない。清水は大地震当日の夜を、東武線の線路敷地内で過ごしたという。火の手は迫る。混乱、また混乱。社会とは何と脆いものか。この滅亡の光景は、大正12年に限らず、日本に、東京に、再起し続けるのではないか。清水に芽生えた強迫観念である。しかも、その滅亡の質は勇敢に立ち向かえば遠ざけられるものでもない。弱い犬としての清水はその晩に誕生したと言える。危険の徴候に気づけば、猛烈に怖がって吠える。他に何ができるというのか。

庶民の側に立つ知的エリート

 清水にとっての震災はそれだけにとどまらない。朝鮮人が放火しているとか、井戸に毒を投げ入れているとか。デマが飛び交い、虐殺が起きた。清水少年は、兵隊が朝鮮人を刺してきたといって、銃剣の血糊を洗い流している風景を目撃したという。ここから清水に、流言飛語、プロパガンダ、イメージ誘導への関心が生まれた。愚かな庶民大衆はすぐ騙される。そこを研究せねば現代は分からない。社会学への目覚めである。朝鮮人を殺してきたらしい自慢をする兵隊への嫌悪の念が、震災と同じく大都市を一瞬のうちに廃墟にする核兵器への恐れと完全に相乗し、60年安保までの清水を、心配で吠えまくる平和主義者にもする。

 さらにもうひとつ。清水は震災を下町で経験した。下町に比べると、火事の少なかった山の手の被害は、まことに軽微であった。10月か11月、学校が再開すると、久々の授業で、教師は黒板に「天譴てんけん」と書いた。「天物暴殄ぼうてん」とも書いた。この度の地震は、私利私欲に走り、贅沢を望み、倫理道徳を忘れた、大正の傲慢な日本人に下された天の裁きと説明した。清水は教師に食って掛かった。その教師が、自宅も無事な、山の手の人間と知っていたからである。贅沢への天譴なら金持ちの多く住む山の手が痛めつけられるべきなのに、なぜ貧乏人の集中する下町ばかりが叩きのめされなければならないのか。

 この論戦は、震災を、公徳心を忘れた大正世代の資本家への天譴とレッテル張りした、明治世代の大資本家、渋沢栄一に、下町在住の作家、芥川龍之介が出鱈目な議論だと噛みついた構図のコピーなのだが、ともかくここにも清水の学問と思想の基本姿勢の萌芽がある。高みの見物を決め込む者が、低きところでじかに苦しむ者を、しばしば役にも立たぬ抽象論で誤魔化そうとする。そんな世の中の仕組みを暴露するのが、庶民の側に立つ知的エリートの仕事。そういう信念である。山の手に見下される下町は、軍人や資本家の手玉に取られる大衆、白人に差別される黄色人種、アメリカの言いなりにされる日本へと、情況に応じて置き換えられ、清水は騙されていては酷い目に遭わされるぞと、吠え続けてゆく。下町、庶民、大衆、黄色人種、日本。清水の居る側は常に弱いことになっている。

 それが気に入らないのなら、弱者から強者に転生すればいいではないか。革命だ。転覆だ。下町が山の手よりも、日本がアメリカよりも、上に立てれば、すべては解決するのではないか。しかし、清水は文学や芸術の徒ではない。どこまで行っても現実の徒である。震災を前にした人間に為す術はなかった。その経験の延長線上に清水は出来上がる。山の手が地盤堅固で、下町がそうでないのはどうしようもない。日本がアメリカをトータルな国力において凌げる見込みもない。現に戦争に負けたではないか。清水の思考はだからやはり弱い犬であり、もっと辛い言葉を使えば負け犬である。けれど、負け犬なればこそ、把握できる真実の世界というものがあろう。清水はひたすらにその世界に生きようとした。弱き者のプラグマティズムである。

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「諸君!」(1980年7月号)

地政学を踏まえた再軍備反対論

 そんな清水は、戦争の時代を、先輩、三木清のようにたおれずに生き延びた。さて、戦後だ。自らも日本という国も、弱いなりになおも生き残って行かねばならない。そのための最大の障害を、アメリカを主人とする戦後日本の生き方と思い定めるに至った。理由は簡単。アメリカの側に付いて、その奴隷となっていると、きっと大震災と大空襲のその次が来ると考えたからである。第三次世界大戦に巻き込まれて日本が滅亡すると信じたからである。

 清水は、朝鮮戦争期に対日講和条約の形態が議論されるようになったとき、吉田茂政権の目指す西側との片面講和でなく、東側を含む世界のすべての相手との全面講和を望んだ。そこに、再軍備反対、中立堅持、米軍基地撤廃という項目も付く。社会党の姿勢と同じだ。でも、資本主義よりも社会主義と、イデオロギーの価値づけで判断していたわけではないようだ。清水は「再軍備はいけない」という率直な表題の時論にこう記す。

「(日本は)アメリカのように地大物博、しかも両大洋によって旧大陸から遮断された国ではないのです。日本はアジア大陸の付属品のような4つの島、その上に8000万を越える腹の減った人間が辛うじて生きているのです。われわれは、いくら洋服を着てみても、黄色い皮膚の、アジアの人間なのです。手を伸ばせば届くところに、ロシアと中国という二大強国が控えているのです」。だから日本は米英とも中ソとも全方位的に仲良くしていかねば、安全に生きられない。「4つの島をハワイの辺りへ移転させることが出来ぬ限り、どんなに虫がよすぎると言われても、甘いことを言うなと叱られても、ギリギリのところ、日本にはそれ以外に生きる道はないのです」。そうした日本が片面講和して、アメリカの助けを借りて再軍備すれば、どう取り繕っても、中ソを敵視していることになる。その報いは「爆弾の雨」。それが怖い。だから、全面講和支持の「血の出るような叫び」をあげるほかないと、清水は言う。

日本民衆は洗脳されている

 この調子は、日米安保体制が固まり、ソ連の核軍備も充実してくる1953(昭和28)年になると、核戦争による大滅亡のヴィジョンへと高められてゆく。月刊誌「婦人公論」に発表した「愛国心について」から引こう。「戦争をすれば、人類全体の破滅という結果以外の結果が生れ得ぬような時代なのです。とりわけ、日本は、新しい大戦が開始されれば、開戦第1日の午前中に日本全土がヒロシマに化してしまうのです。アメリカの口車に乗ってアメリカのための再軍備などをすれば、日本全土がヒロシマと化する日をそれだけ早く招き寄せる訳です」。

 核戦争による滅亡の恐怖から、日本を遠ざけようとする清水の戦いは、反米軍基地闘争に集中してゆく。清水はやはり1953年の文章「軍事基地について」で書く。米軍基地が置かれ、基地経済に従属させられる地域は、清水の分類法からすれば“山の手”でなく“下町”である。そこに暮らす庶民は、米兵の犯罪等に悩まされながら、文句を言うための回路も理屈も剥奪される傾向にある。基地が置かれるのは国防のためという愛国心の次元と、敗戦国に降りかかった宿命だから我慢せよという天譴的な次元とに還元されて納得させられてしまう。ソ連に侵略されるよりは米軍基地がある方がましとも教えられる。「ロシアや中国を真黒な悪魔の国として描き出す」アメリカのプロパガンダが利いているのだと、社会学者、清水は分析する。日本民衆は、基地社会に取り込まれ、洗脳され馴化じゅんかされ続けている。「近所に基地がなく、アメリカ兵など見たことのない地方でも、基地社会の一部分として、その構造の中に巻き込まれ、その法則の支配を受け」る。そうして日本中が奴隷になって、ソ連の侵略を阻止するために米軍基地が必要だと思えば思うほど、日本はソ連からの核攻撃の標的としての意味を増し、清水の強迫観念である関東大震災のときの東京の下町の廃墟が日本中に現出する日が近づいてゆく。“山の手”のアメリカに良いようにされる“下町”の日本を、もはや破滅から救い出すことはできないのか。

“右旋回”してレジャー研究

 清水にとっての60年安保闘争とは、その恐怖を除去するための最終戦争のつもりであったろう。清水は闘争の目的を、平和憲法擁護、米軍基地排除、安保条約廃棄に求めようとした。そうしたら仲間内から過激すぎると退けられた。安保闘争の終点は、国家の重大な問題を、民主主義的手続きに従わず進めた政権を打倒することにいつの間にか置き換わり、岸信介内閣を退陣に追い込んだのだから勝利と解そうということで、大勢が納得した。清水にとって、安保闘争は民主主義運動よりも平和主義運動であり、日本の平和は日米軍事同盟を解消して日本が中立化し、米中ソの三大国と等距離外交を行えることで達成されるはずだった。かなり能天気な思想には違いない。まるで日本国憲法の前文だ。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」。が、第三次世界大戦に巻き込まれず、日本を廃墟にしないことを至上命題とする清水からすれば、他の選択肢はなかった。二つのブロックが対立して、破滅的戦争が起きうるとき、どちらか片側の軍事基地が置かれていれば破滅への呼び水。基地を除去しないと夜も眠れない。その意味で、ぶれない弱い犬であった清水の闘争は、敗北に終わる。もう滅亡を待つのみなのか。

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source : 文藝春秋 2022年5月号

genre : ニュース 政治 国際 昭和史 歴史