1960(昭和35)年に、池田勇人内閣が発表した「国民所得倍増計画」。予測を大幅に上回る経済成長を達成し、日本の高度成長期を象徴する政策となった。その計画を支えたブレーンが、エコノミストの下村治(しもむらおさむ)(1910―1989)だ。経済実態に即した分析を行う下村は時に経済論争を巻き起こし、「孤高のエコノミスト」とも呼ばれた。自らも経済学を専門とし、法政大学名誉教授で国際協力銀行監事を務めた長男の恭民(やすたみ)氏が、父を回想する。
エコノミスト下村治の原点を考える時、まず眼に浮かぶのは、敗戦後の焼け跡に廃材で作った掘立小屋の病室である。
畳もなく床板の上にゴザと布団を敷いて、結核に冒され、医者からも見放された身体を横たえていた。部屋に入っていくと、落ちくぼんだ眼を開けて、傍らの本棚に視線を向ける。視線の先は若いころニューヨークで買い求めたケインズ『一般理論』の初版本で、本を取って渡すと、しばらくして突然、思いがけない大きな声で音読を始めるのだった。肺に障るからと会話も止められていたのだが、頭の中に輪郭を見せはじめていた考えを、命を削ってでも論文にまとめたい衝動があったのだろう。夜には薄暗い電灯の下で、母に口述筆記させて論文を書いていた。
生命の尽きる前に論文が完成するのは、客観的に見ると難しい状況だったが、思いがけなく事態が好転した。月に一度だけ東京に出て来る、荒木正胤(まさたね)先生という漢方の名医に巡り合えたからだった。枯れ木のような父の体の奥底に、辛うじて涸れずに残っていた生命力を、先生の指先が探り当て、処方された恐ろしく苦い小柴胡湯(しょうさいことう)を煎じる日々が始まった。やがて、遅々としてではあったが、薄紙をはぐように病状が改善し、体調が戻るのに合わせて論文の執筆も進みはじめた。

1952(昭和27)年に出版され、後に博士号を与えられた『経済変動の乗数分析』で、父は「設備投資はどのように起きるのか」の分析に、特に力を入れていた。それをさらに発展させた理論のレンズを通して、1950年代後半(昭和30年代前半)の日本経済を見た父の眼には、力強い民間設備投資を中心とした2ケタ成長が可能な「勃興期」日本の姿がはっきりと見えていた。
ただ高度成長が可能という提言は、当時の日本人の想像力の範囲を遥かに超えていたから、多くの経済学者やエコノミストたちから冷笑や嘲笑を浴びるだけだったが、理解してくれるごく少数の人々もあり、池田(勇人)さんの目にとまって「所得倍増計画」へと発展していった。
高度成長はなぜ実現したのだろうか。ある時、父が「民の力だ」と答えたことがあった。政治家や経営者や官僚ではなく、普通の人々の努力とエネルギーが達成したという意味だろう。日常生活ではきわめて無口で、こうして時々、記憶に残る言葉をポツリと呟くだけだった。
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