イトーヨーカ堂と並んで、日本の二大流通グループの一角を築いた「イオン」グループの創業者・岡田卓也(おかだたくや)氏(1925―)。その姿を、次男で民主党代表を務めた代議士・岡田克也(かつや)氏が語る。
最も古い父の記憶は、私にとってあまり名誉なものではない。
幼稚園の実質的な初登園日だった昭和34(1959)年4月某日のことだ。当時、父は職場まで20分近くかけて徒歩で通っていた。たまたま自宅との中間に幼稚園があったので、父が通勤がてら、手をひいて私を連れて行ってくれた。幼稚園の前まで歩いてきて、いざ一人で幼稚園に入るとなって、私は急に不安になり、大泣きした。その時、父がどんな表情だったのか……そこまでは憶えていない。
生家は200年の歴史を持つ「岡田屋」。呉服商を中心とした三重県四日市の小売業だった。父がその7代目社長に就いたのは、昭和21年のこと。まだ早稲田大学在学中の21歳。戦後の混乱期、配給切符の時代だった。地方都市の中小企業の経営者だったので、自分で何から何までやらなければならなかったし、地元の商工会議所の副会頭などを務めていた時期もあった。

それだけに、父が休みを取っている姿を家庭では滅多に見かけなかった。時折キャッチボールをしたり、市内に一軒しかなかった中華料理屋に食事に出たり、年に一度、両親と3人兄弟で旅行に行くことくらいが楽しみだった。早朝から深夜まで働き、不在がちの父は、何となく怖い存在だった。
岡田屋からジャスコへ
そんな父との関係で濃密な時間を過ごしたのが、昭和44年の1年間。地方の量販店にすぎなかった岡田屋が、他の小売会社と合併して「ジャスコ」を設立することを発表し、その基盤固めに追われた一年である。父は拠点を四日市から大阪に移して、ナショナルチェーンの実現を目指すことになる。当時、関西ではダイエーが圧倒的に強かった。
そのため、住まいも大阪に転居することになるのだが、3人兄弟のうち、私だけが一足早く一緒に大阪へ引っ越したのである。私は中学3年で高校受験の年だった。それまでは四日市高校に進学するつもりだったが、自分で大阪の高校に行くことを決断した。
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source : 文藝春秋 2007年2月号

