独創的な発想とセンスでファッションデザイナーの草分けとして活躍した小篠綾子(こしのあやこ)(1913―2006)は、3人の娘たち――ヒロコ、ジュンコ、ミチコを世界的デザイナーに育てあげた。そして綾子自身も75歳でブランド「コシノアヤコ」を立ち上げ「ライバルは娘たち」と語っていた。次女のコシノジュンコ氏が母の思い出を振り返る(初出:文藝春秋2007年2月号)。
昨年の3月26日、母が亡くなった。92歳だった。2月の末、肺炎で入院。3月7日に脳梗塞に倒れ、余命3日と言われたが、姉のヒロコと私の東京コレクションのショーが終わる25日まで小康状態を保ち、翌朝、安心したかのように静かに旅立った。

この間、妹のミチコもロンドンから一時帰国。時間の許す限り、姉も私も病室で寝泊りをした。三姉妹でベッドを並べて寝るなんて、本当に何十年ぶりだっただろう。母との思い出話を始めると、みんなとまらなかった。余命いくばくもない母の隣で不謹慎とは思いつつも、出てくるのは笑い話ばかり。父が戦死した後、女手ひとつで親きょうだいと私たち三姉妹を養ってきた……となれば、泣ける話のひとつも出てきそうなものだが、記憶の中の母はいつも笑っている。「与えられるより、与えたほうがずっと得やで」が口癖で、いくつになっても「お母ちゃん」とみんなから慕われていた。母ほど涙が似合わない女はいない。本当に笑ってばかりのやんちゃくれな人生だった。
「コシノ洋装店」を切り盛りしながら、いつもミシンとお客様に向きあっていた母に、なにかを教わった記憶はない。愚痴や悪口を言わない、嘘をつかない、手早く美味しい料理を作る、よく働きよく遊ぶ……母の背中どころか、手先、足先、口先まで見て、文字通り、それを見習って私たちは育った。

服はもちろん肌着もすべて自家製。あれは小学校3年生の頃だったか。姉とお揃いの服を着て、奈良の若草山に連れていってもらった。途中、私は迷子になってしまったが、母が姉を連れ「この子と同じ服着た子、知りまへんか」と訊いてまわると、「ああ、その子ならあそこで見ましたよ」と何人も目撃者が出てきて、私はすぐに発見された。そのとき、私たちが着ていたのは、黄色地に黒い大きなヒマワリがアップリケされた麻のワンピース。一目見たら忘れない、とびきりモダンな服を母はいつも作ってくれた。
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source : 文藝春秋 2007年2月号

