笠智衆 まるで生き仏みたいな役者

山田 洋次 映画監督

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訥々(とつとつ)とした語り口と味わい深い演技で親しまれた俳優笠智衆(りゆうちしゆう)(1904―1993)は生涯現役を貫き、最後の日まで愚直なまでに役者でありつづけようとした。最後の出演作品となった映画『男はつらいよ』の監督、山田洋次(やまだようじ)氏(1931―)が“御前さま”のその澄みきった人生を語る。

 

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 あれは、『夢』が完成した後の黒澤明さんの誕生日のお祝い会でのことだったと思う。その会場に笠さんが来られていると聞いたので、控え室に挨拶にうかがうと、笠さんは私の顔を見るなり、居住まいを正して真顔でこうおっしゃった。「山田さんにかねがねお願いしたいことがございました。私の役は出番が少ないので、山田さんがいつか忘れてしまうのではないかと気が気でありません。どうぞ、(『男はつらいよ』の)脚本をお書きになる際は私の役もお忘れなく」

 こんなこともあった。ロケーション先のお店で上等なステーキを出してくださった。笠さんはそれを食べながら「ああ、何年ぶりでしょうか。こんなおいしいお肉をいただくのは」と言われるのだ。僕は健康上の理由で控えておられるのかと思って、「お医者さんに禁じられているのですか」と訊いた。だが、返ってきた答えは、「いえいえ、私のようなつまらない役者はこんな上等なものはいただいちゃいけないんです」というもので、僕は驚いたものだ。世界的な名声があるにもかかわらず、どこまでも謙虚な人だった。

笠智衆 ©文藝春秋

 器用さは観客の目を奪うことはできても、心に大切なものを残すことはできない。その意味で、たしかに笠さんは不器用な俳優の筆頭に挙げていいだろう。『故郷』という映画の撮影で笠さんと同じ民宿に泊まったことがある。笠さんは僕の隣の部屋だった。夜更け、脚本のチェックをしていると、壁一枚隔てた向こうから、ボソボソと呟く声が聞こえてくる。「今日はいい天気だねぇ」。それは翌日の撮影の科白(せりふ)だった。愚直なまでに繰り返すその声は延々と続いていた。

 脚本に書かれた科白はいつも一字一句、正確に覚えていらした。「、」で少し、「。」の時には長めに休む。その間隔もぴたりと同じ。笠さんの科白を聞きながら文字におこすと、寸分たがわず脚本を再現できるほどだった。

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source : 文藝春秋 2006年2月号

genre : エンタメ 芸能 映画