双葉山 どんな女優よりもその肌に触れてみたかった

出羽錦忠雄 元関脇

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いまだ破られない69連勝という大記録をうちたてた大横綱、双葉山(ふたばやま)(1912―1968)。日本相撲協会の理事長に就任後は部屋別総当り制度の導入など相撲の近代化に努めた。双葉山の最大のライバル出羽海部屋の力士で、解説者としても洒脱な言動で人気のあった元関脇の出羽錦忠雄(でわにしきただお)さん(1925―2005)が思い出を語る。

 

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 私が出羽海部屋に入門したのは、兄弟子の安芸ノ海関が連勝を止めた翌年の1940(昭和15)年だったが、まだまだ双葉山関の力はずば抜けていた。そのころは一門ごとに東と西に分かれて、取り組みが組まれていたので、われわれ出羽一門は立浪部屋の双葉山と対戦することが多かった。

双葉山(時津風親方) ©文藝春秋

 場所中の朝ゲイコの時、大学出の力士で、部屋の参謀格だった笠置山(かさぎやま)関が「今日双葉山とあたるのは誰だ」と声をあげる。すると、対戦する力士を中心に十数人が集まる。そうやって、双葉山対策をあれこれ練ったものだった。

 それでもなかなか勝てるものではない。双葉山関が右目がほとんど見えなかったことは、今では有名だが、そのころは立浪親方しか知らなかった。ただし、私の部屋では、目が悪いのではないかという疑いをうすうす抱いていた。というのは部屋の櫻錦関という兄弟子が、二度右に飛んで、二度とも勝ったことがあったからだ。しかし、うすうす感づいてはいても、実際の土俵で双葉山関を崩すのは簡単ではなかった。

出羽錦忠雄 ©文藝春秋

引退相撲で初っ切り

 実は、私自身は双葉山関と対戦したことは一度もない。双葉山関の引退が昭和20年の秋場所後。私が幕に上がったのはその3場所あとだったから、わずかの差ですれ違いになってしまったんだ。私は土俵生活に何一つ悔いはないが、あえて残念なことを挙げるとすれば、双葉山関と肌を合わせることができなかったことだ。どんなきれいな女優さんよりも、土俵の上で双葉山関の肌に触れてみたかったなあ。

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source : 文藝春秋 2000年1月号

genre : エンタメ スポーツ