明治の皇室典範制定でも女性天皇は検討されていた
天皇と政治権力がこれほど齟齬をきたしたことは戦後なかったのではないだろうか。日本国憲法第七条には、「天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ」という一節があるが、これは、象徴天皇制は、天皇と内閣と国民の間にそれぞれ一定の信頼の回路が存在すべきことが前提となっている。だが、現在の日本では、天皇と内閣、そして内閣と国民の間の回路は、およそ確かなものとは言えないだろう。そしていま、そのことによって、長年つちかわれてきた天皇と国民の間の回路も損なわれつつある。大多数の国民が望む女性天皇への道筋が見えなくなり、象徴天皇制に対する国民の信認は揺らいでいる。原因は内閣、つまり高市早苗政権の施政による。

終戦から81年、高市政権となってから初の「8月15日」における高市首相の言動を振り返っておく。この日、高市は、全国戦没者追悼式に赴く前に、日本武道館の駐車場で待機中の車から降りて、靖国神社の方角に向かって神道の作法で「二拝二拍手一拝」し、「遥拝(ようはい)」したという。「遥拝」とは文字通り「離れて拝む」という意味であるが、私などにはどうしても時代錯誤的に響く。
戦時下の国民学校の生徒は、皇国の少国民教育を徹底して受けた。戦時下の朝礼では、日本全国どの学校でも「宮城(きゅうじょう)遥拝」が行われたのである。生徒は一斉に皇居のある東京の方向を向いて、「最敬礼」の号令とともに頭を垂れる。その後、校長の訓示に「かしこくも天皇陛下におかせられましては」という一節が出ると、生徒は一斉に「気をつけ」の姿勢にならなければならない。神権天皇制を仮構して国民に押し付けることで無謀な戦争を強行した戦時体制を連想させる言葉なのだ。
高市は、閣僚・党三役時代に靖国参拝を続けた。2022(令和4)年、政調会長当時、「首相になったら靖国神社に参拝するか?」と問われ、「日本国のトップになるようなことがあったら、ずっと参拝を続けたい思いだ。途中で参拝を止めたり、中途半端なことをするから相手がつけ上がる面はある」と答えている。外交の相手国に対して「つけ上がる」という言葉づかいには呆れるが、近年の反中・反韓感情におもねる意図もあったのであろう。だが、首相就任後は参拝を控えた。8月15日に参拝を見送ったのも、悪化する関係を抱えたまま11月に中国で開かれるアジア太平洋経済協力会議に臨むこと、また韓国との関係を慮ったものと考えられる。
もとより、高市が今回、参拝を控えた判断自体を批判するつもりなどない。日頃から靖国参拝を主張する国家主義的右派であろうとも、内外の情勢への配慮から適切な政治的判断をするのは首相として当然である。問題はそこから先のことだ。高市の代理のような形で小泉進次郎防衛相などの閣僚や鈴木俊一幹事長ら自民党幹部が参拝したのは、日本会議的な右派支持層の離反を招かないための対策でもあろう。高市自身の「遥拝」も、そこに重きを置いているのだと思う。
歴代天皇が靖国を参拝しない真意
安倍晋三元首相は「遥拝」を検討したうえで「小手先」の手法になるとして採用しなかったそうであるが、高市にとって「遥拝」という復古的なスタイルは、そうであるがゆえに右派支持層への戦前回帰に向かうメッセージであり得ているのではないか。そこに私は、戦死者への深い追悼の念を感じることはほとんどできない。真率な慰霊の感情ではなく、右派として振る舞う演技を感じてしまう。そしてその身振りに、戦時中のファシズム推進者が、神国日本など信じないままに神権天皇制を祭り上げて利用し、国民を戦争に動員して犠牲にした「聖戦の構造」と重なる危惧を覚えるのである。
一方、天皇と靖国神社の関係はどうか。昭和期以降の歴代天皇は、昭和天皇が1975(昭和50)年に参拝したのを最後に、平成の天皇も、令和の天皇も、靖国神社に赴いていない。これは、1978(昭和53)年、靖国神社宮司の松平永芳の決断により、東條英機、松岡洋右らA級戦犯を合祀したことによるとされている。昭和天皇がA級戦犯合祀を密かに行った松平に強い批判の言を洩らしていたこと、A級戦犯合祀ゆえに参拝をしなくなったことを伝えたのが「富田メモ」である。
当時の宮内庁長官の富田朝彦による昭和天皇の発言のメモが存在することを、2006(平成18)年、日本経済新聞が報じた。私は日経新聞の富田メモ研究委員会の委員だったので、このメモのかなりの部分を読み込んだのだが、丹念に検証した結果、事実であると判断した。その後、「富田メモ」が伝えた内容は、『卜部亮吾侍従日記』『昭和天皇実録』などによって裏付けられ、史実として確定したと言っていい。このように、靖国神社をめぐって、歴代天皇と高市の認識は隔絶している。
全国戦没者追悼式での高市の式辞には、その政治姿勢が現れていた。細川護熙元首相が初めて言及した「アジア近隣諸国」の犠牲者、また村山富市元首相以降の歴代首相が式辞で使ってきた戦争への「反省」「不戦の誓い」「アジア諸国の人々に与えた損害と苦痛」といった文言は、第二次政権時の安倍晋三がすべて封印し、石破茂前首相が「反省と教訓」という言い方で一部を再生させて戦争への警戒を喚起した経緯があったが、高市の式辞からは再び消えた。
不戦の意志を改変してしまった
さらに高市は、戦後70年にあたる2015(平成27)年から安倍が盛り込んだ「戦争の惨禍を繰り返さない」という主体的な意志を表す文言を、「戦争の惨禍を繰り返させない」という他者への使役の形に変えた。私は、安倍の修正主義的な歴史観を厳しく批判し続けたが、その安倍でさえもが国際環境への認識と保守政治の力学のなかで示した不戦の意志を、高市は別のものに改変した。安倍から高市へという継承関係はよく語られるが、安倍がかろうじて踏みとどまった保守政治の分厚い伝統の中に高市はいないのではないか。
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