1935(昭和10)年に映画デビュー。「東京物語」や「青い山脈」などに出演したが、昭和37年の引退後は一切、人前に出なくなった伝説の女優、原節子(はらせつこ)(1920―2015)。共演者の一人、司葉子(つかさようこ)さん(1934―)が思い出を振り返る。
私がまだ少女の頃、映画雑誌のグラビアの常連だった原節子さんは憧れの女性でした。私が高校生になった昭和24年。夏に封切られた今井正監督の映画、「青い山脈」はたいへんなヒットとなります。
当時女学生にとって映画館に入ることは大いに憚(はばか)られることだったのですが、「青い山脈」は特別に許されて観ることができたのです。私はスクリーンの原さんにすっかり魅了されてしまいました。ファンレターを出したのは、たぶんこの頃ではなかったかしら。

私は20歳で映画界に進むことになるのですが、原節子さんと初めて共演したのはデビューから2年後です。昭和31年に公開された松林宗惠監督の「兄とその妹」という作品でした。原さんと池部良さんが夫婦で、私が池部さんの妹という役回り。憧れの人との共演ですから、舞い上がってしまって、まるで夢の中にいるようでした。
つぎに共演したのが35年公開の「秋日和」。私にとっては初の小津安二郎監督作品です。リハーサルでは細かいご指導がありました。とりわけ音程は厳しかった。会話なのに声楽の授業のように「半音上げて」とか、「半音下げて」と。小津先生はベテランにも厳しく、長年起用していた笠智衆(りゅうちしゅう)さんでさえ、ずいぶん絞られていましたよ。その点、原さんは違う。リハーサルからほとんどNGを出しません。先生の意図がちゃんとわかっておられるという印象でした。
翌年、再び小津監督の「小早川家の秋」で原さんと共演する機会に恵まれました。兵庫の宝塚市での撮影で、1カ月ずっと一緒でした。撮影は毎日5時に終わり、そのあと、みんなで夕飯です。原さんはビールがお好きで、少し酔ってくると浴衣(ゆかた)の前の襟もとを掌で上げる癖がありました。すると白いうなじがスッと見える。ドキッとするほど色っぽかったです。
撮影がお休みの日に、原さんに誘われて、ふたりで明石の海へ行ったことがあります。原さんは泳ぎがお得意で、毎年5月になるのを待ちかねて、三浦海岸で泳いでいたのですって。日本人離れした素晴らしいプロポーションですから、夕日をバックにした黒いワンピースの水着姿は本当に素敵でした。水平線の先に見える淡路島に向って、「葉子ちゃん、私、あそこまで泳いでくるわ」とおっしゃった。これにはびっくり。「お願いだからやめてください」と必死で止めました。
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source : 文藝春秋 2013年1月号

