「麦秋」「東京物語」のおおらかな明るさ・清楚さだけじゃない。原節子にはダークな魅力がある。今こそ見たい“原節子の名画”を語り合った!
小津作品は芸術
石井 原さんは1920年6月生まれですから、今年が生誕100年。今回はこれを記念して芝山さんと2人で原節子のベストテンを選んでいきたいと思います。いうまでもなく日本映画の黄金時代を代表する女優でありますが、戦後復興の明るさを体現した女優でもありました。
芝山 あの頃は戦争、今はコロナ禍。こういうときこそ、「おおらかで明るくて正直で」という原節子の姿が目に沁みます。世界のハートに欠けている養分がもらえるんです。
石井 終戦を彼女は25歳で迎えました。青春時代が戦争と重なり、そのあと戦後の活躍があるんですね。
芝山 同じ年に生まれた人だと、三船敏郎やモーリン・オハラ、ジーン・ティアニーがいますが、原節子は今でも古びていません。例えば、1949年の『お嬢さん乾杯』を見直してみると、あの輝きや明るさは今も素晴らしく例外的です。
石井 原節子というと、『麦秋』や『東京物語』などの小津安二郎監督の作品で演じた、清楚な女性を思い出す方も多いでしょう。もちろん、原節子が出ている小津作品はどれも完成度が高くて、もう、映画の域を超えた芸術作品と言っていい。でも彼女には、「清楚」とは正反対の別の魅力もあって、そちらの原節子もお伝えできたらと思います。
原節子写真
ⒸOFUNA/Ronald Grant Archive/Mary Evans/共同通信イメージズ
『青い山脈』のきらめき
芝山 まずは、『わが青春に悔なし』、『安城家の舞踏会』、『お嬢さん乾杯』、『青い山脈』など、戦争直後の作品をとりあげましょう。原節子は26歳から29歳。これらの作品の原節子は本当に明るいし、のびやかだし、それでいて正直で、人を寛(くつろ)がせる大きさみたいなものもあって素晴らしい。なかでも『お嬢さん乾杯』は、木下惠介監督がその輝きをうまくすくいとっています。
石井 物語も明るく、没落した元華族のお嬢さんが、自動車修理工場経営で一財産築いた気の良い青年と織りなす恋愛コメディです。
芝山 コメディですからテンポもいい。灰田勝彦の能天気な主題歌を何度も入れたり、終戦直後の銀座やお茶の水などの街頭風景を取り入れてみたり。さあ立ち直ろうという日本の姿と原節子が重なり、まさに時代のイコンの役割を担っていた。
石井 最後に「惚れております」と原節子が恥じらって言うセリフがまたいいですね。令嬢が殻を破った感じで時代の精神にも合っていて、作品は興行的にもヒットしました。
芝山 原節子の浮世離れした風情は、佐野周二や上原謙のような、ちょっとお気楽な男優と組んでいるときの方が光るんですよね。
芝山氏
石井 1947年、養う家族が増えた事情もあって原節子は、所属していた東宝を離れます。フリーとなった第1作目が松竹の作品『安城家の舞踏会』です。松竹のスタッフは原節子の風格に圧倒されたそうです。
芝山 没落した現実から目を背ける華族一家の中で、原節子演じる末娘の距離感が光っていましたね。
石井 芝山さんが9位に選ばれた『青い山脈』は、私も大好きな一作です。封建的な田舎に赴任した、進歩的な教師を演じました。「家のため、国家のため、個々の人格を束縛して一つの型にはめこむ」のは日本社会の大きな誤りだと、教え子に諭すシーンがとりわけ素敵です。
石井氏
芝山 『お嬢さん乾杯』と並んで、キラキラしている原節子の双璧ですね。監督の今井正はやや頭の固い人と思いますが、『青い山脈』の原節子の輝きには眼を奪われます。
石井 娯楽映画として三流扱いをされていますが、今見ても楽しいですし、希望や自由の価値、精神の高貴さを原節子が示してくれる。当時、戦争で身内を失ったり、衣食住に困ったりする人が多いなかで、原節子が観客にどれだけ豊かなものを与えたか想像できる作品です。
紀子三部作
芝山 『青い山脈』を撮った1949年、原節子は小津安二郎の『晩春』に出演するんですね。
石井 『晩春』、『麦秋』、『東京物語』は、原節子演じるヒロインの名前が全て紀子(のりこ)なので、「紀子三部作」として知られています。
原節子写真
ⒸOFUNA/Ronald Grant Archive/Mary Evans/共同通信イメージズ
芝山 3作品とも、小津ならではの抑制と技巧の粋が感じられて、美学的な階級の高い映画です。
石井 『麦秋』は芝山さんの、ベストワン。東京に勤める、28歳で婚期を逃しつつあった紀子の姿を通して、間宮家の静かな解体を描いています。
芝山 三世代が同居する間宮家や、近所の人など、台詞のある役が20人ほどいて、その集合体の中にヒロインがいます。原節子は、センターフォワードのように前に出るだけの人ではない。アシストやサイドアタックをするときもその能力を存分に発揮しています。
例えば、杉村春子演じる隣人のたみが、妻と死別した子持ちの息子の後添えにきてほしいと本音を打ち明けるシーン。紀子は立派な背中をキャメラの前で傾けながら、「ええ」「ええ」と相槌だけで応じる。ところがそのあと「ほんと、おばさん? ほんとにそう思ってらした?」という台詞で世界を一変させてしまう。
石井 私もとても好きなシーンがあるんです。紀子は溌剌としていて、間宮家も幸福な一家そのもの。けれど時おり、次兄の戦死という悲しみが見え隠れする。次兄の友人と原節子がカフェでお茶を飲むシーン。友人が次兄の遺品である、麦の穂が挟まれた手紙を持っていると話すと原節子は「その手紙いただけない?」と、有無を言わせず迫る。それまで明るいお嬢さんだったのが、ガラッと表情が変わって真顔になるのです。
この原節子の激しさが、抑制された小津映画の中ですごく効果的だと思いました。逆に、静かでおとなしいだけの女優だったら面白くない。
芝山 白地に白い顔が映るだけではつまらないんですね。小津は、どうしても滲み出てしまう原節子の激しさやダークな部分を見抜いていて、映画の中に一見それと分からない形で取り入れている。戦士の匂いが、ときおりさっとよぎるんです。
小津とは2頭の野獣
石井 当時、撮影現場にいた人は、小津と原節子は互いに一歩も引かず、対峙していたと証言しています。
芝山 2頭の野獣というか、2人のボクサー。その緊張感が紀子3部作の魅力ではないでしょうか。
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source : 文藝春秋 2020年6月号