「太郎は力がなかった」

河野 洋平 衆議院議員
ニュース 政治
なぜ国民人気圧倒的1位でも負けたのか?
父の目から見た自民党総裁選の反省点(聞き手・篠原文也)
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河野氏(左)と篠原氏

自民党総裁の「振り子の原理」

 ――衆院選後も岸田文雄政権が続く前提で今日はお聞きします。30年ぶりの宏池会政権が発足しました。岸田さんは宏池会の後輩ですし、幹事長の甘利明さんは、洋平さんが「腐敗との決別」を掲げて立党した新自由クラブ育ち。この現状をどうご覧になりますか?

 河野 まず宏池会政権が30年ぶりといっても、その間に野党時代の谷垣禎一さんも総裁でした。私はそれぞれの先代(岸田文武、甘利正)のほうと親しかったので、岸田さんには強い印象はありませんが、ただ、真面目で誰とでも馴染める、まさに宏池会の流れを汲む人です。

 ――新型コロナの感染状況が改善する中、自民党は有事のリーダーではなく、「平時」のリーダーを選んだかたちです。

 河野 コロナが落ち着いてきたのは、前政権でワクチン接種を進めた菅義偉さんの功績でしょう。もっとも、自民党政権の継続だから、岸田さんがそれを受けて政権運営をするのは、おかしいことではない。

 ただ、ここで指摘しておきたいのは、党の中で「疑似政権交代」すら起きているようには見えない、ということです。

 清和会(現在の細田派)を軸にした政権が第2次安倍晋三内閣から9年間も続いてきた。途中の民主党政権期を除くと、森喜朗内閣から麻生太郎政権を別として20年以上です。こうした経緯と総裁選後の人事を見れば、岸田さんも清和会の影響を受けざるを得ないでしょう。

 これまで、自民党総裁が交代する時は「振り子の原理」が働いたものです。ある路線が支持を失うと、党は別の路線に乗り換え、従来の路線を担ってきた人たちは一歩退く。左に行っていたら次は右へ、右へ行っていたら次は左へ戻すことで、幅も広げ、党は変わらないが、疑似的に政権が代わって、国民政党としての基盤を維持してきました。

 ところが最近は振り子が右に寄りっぱなしで、糸を吊る支点そのものがぐっと右にズレて、左どころか中央にさえ振り戻さなくなったのではないかとの懸念を持ってきました。

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安倍の「羽織」を脱げるか?

 ――それは高市早苗さんの総裁選での得票が当初の予想以上に伸びたことにもあらわれていると?

 河野 高市さんが出馬されたのは、本人の強い希望があったのか、別の力が働いたからなのかはわかりませんが。ともあれ、岸田政権の評価はまだこれからでしょう。

 かつて権勢を誇った田中角栄さんの支援の下で総裁となった中曽根康弘さんは、政権発足当初、角さん側近の後藤田正晴さんを官房長官に迎えたのをはじめ、田中派を重用し、「田中曽根内閣」と揶揄されたものです。それでも中曽根さんは我慢を重ねて2年経ち、3年経った時に、とうとう「脱田中」を宣言し、角さんの羽織を脱ぎ捨てました。

 もし、岸田さんが中曽根さんのようなしたたかな政治家であれば、1年、2年をかけて安倍さんの羽織を脱ぎ捨てることができるかもしれません。その時に本来の宏池会の衣装が現れるなら、ホッとできるのですが、ずっと脱ぐことができないままなら、困ったことだと思います。

 ――ただ、疑似政権交代と言っても、自民党内の派閥のカラーは以前ほど特色がない。今回の総裁選でも、宏池会以外の派閥は支持候補をなかなか一本化できなかったですし。

 河野 ご指摘のように、今の派閥は、昔のそれとは違います。かつては各派閥のリーダーが総理総裁を目指し、その主張のもとに議員が集まりました。そこで議論を重ねて政策を磨き、集まった議員たちも真剣にリーダーを鍛える。天下を狙う集団だからこそ、派閥は成長し、一体となって力を発揮したのです。

 しかし今、自民党内の派閥は実質的なリーダーが首相経験者のところが多くあり、「一緒に天下を獲るぞ」といった緊張感がありません。天下を狙わない集団に、強い結束力は生まれません。

 ――その意味で言えば、宏池会はリーダーの岸田さんがまさに「これから天下を獲る」という立場でしたし、勢いがありましたね。

 河野 ただ、「軽武装・経済重視」という宏池会の本来の系譜を受け継いでいたのは、やはり谷垣さんですよ。あるいは、宏池会らしさがあったのは谷垣さんまで、とも言えます。中途入学組である僕はともかく、谷垣さんは宏池会の本流です。しかも、野党時代の自民党をよくまとめました。当時の幹事長は石原伸晃さんでしたが、この自民党の体制が1期で終わってしまったのがつくづく残念です。

 ――2012年の総裁選で、石原さんは谷垣支持ではなく、自ら出馬。「平成の明智光秀」と言われたものです。結局、宏池会は結束できず、安倍さんが再登板して清和会の覇権が続くことになった。

 河野 確かにあれが自民党の大きな分岐点だったと思います。あの時の執行部が結束していれば、谷垣政権が誕生していたはず。その後、谷垣さんは自転車事故に遭われて引退されましたが、残念なことです。

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自分の最大の仕事は「政権復帰」

 ――洋平さんはそれ以前は「総理になれなかった唯一の総裁」と言われました。でも総理にあと一歩まで近づいた瞬間があるじゃないですか。1995年、自社さ連立政権の首相、村山富市さんが参院選大敗の責任を取って総理の座を譲りたい、と洋平さんに告げたそうですね。2度も総理の座を逃した父・一郎さんの悲願をつかむ好機が転がり込んできたのに、なぜ受けなかったのですか?

 河野 いやいや、あの時は、とても党内がまとまらなかった。

 ――その反対を突っ切る気力は?

 河野 出なかったね。

 ――奥様の武子さんが参院選の最中に亡くなる不幸も重なった。

 河野 大変だった。やっぱりね。

 ただ、振り返って見ると、僕のした一番の大仕事は、自民党が下野した10か月後の94年6月、社会党とさきがけとの連立をまとめ上げて政権に復帰させたことです。これは自民党の中で護憲など一貫してリベラルな主張を通してきた僕でなければ村山さんを説得できなかったという自負がある。自民党が政権与党に復帰するにはあの方法しかなく、まさにワンチャンスでした。自分が総理になるかどうかよりも、こちらのほうがはるかに重要な仕事でしたね。

 ――確かに。2009年に再び野党に転落しても自民党が大きく崩れずに済んだのは、あの経験で党内に耐性がついた面はありますね。

 河野 初めて下野した時は、森幹事長の机に、毎朝どっさり離党届が山積みになったんですから(笑)。もしあのまま野党暮らしが1年続いていたら、自民党は取り返しのつかないことになっていたでしょう。

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人気だけで総裁にはなれない

 ――話は今年9月の総裁選に戻りますが、「政治を変える」というスローガンを掲げ「次の首相にふさわしい政治家」の世論調査で5割近い支持を集めたのは、洋平さんのご子息である河野太郎さんでした。改革色の強い政策が議員の反発を招いた面もあるのでは?

 河野 やはり既得権を守りたい人は多いですから、改革派というのはなかなか難しいですよ。それを乗り越えなければ改革はできない。例えば世代交代なんて、相当なエネルギーがないとできませんよ。「世代交代だ」と声を張り上げた程度では、進まないね。

 それでも今回の総裁選は、相当な改革のエネルギーが発揮されたと思いますよ。でも選挙というのはなかなか思うようにはいかないものでしょう。

 ――洋平さんの父・一郎さんは佐藤栄作さんと総理の座を争いながら、なれなかった。洋平さんも総理にはなれなかった。そして太郎さんが今、本格的に総裁を狙う位置にいる。官僚政治家とちがう反骨精神を漂わせる姿に国民の支持が集まる構図は、3代で共通点があります。父、自分、そして息子を見ていて、既視感のようなものはありますか?

 河野 あんまりそんなふうに考えたことはありません。しかし、皮相的な見方をすれば、国民的人気があれば総裁になれるかというと、そんな簡単なことではない。単純に人気だけなら田中真紀子さんが総裁になったかもしれない。橋本龍太郎さんの人気も大変高かったけれど、実際に橋本さんが総裁になったのは人気絶頂期ではなかったですし。

 どうも自民党という党内の力学は、国民的な待望論みたいなものとは若干違うんですよね。その良し悪しは別として、そういう党なんだから、その枠組みの中でどうやれば勝てるかっていうことを考える必要はある。

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 ――ではズバリ太郎さんの敗因は何だと?

 河野 私にはわかりませんが、もう一つ、力がなかったということでしょう。選挙は競争ですから、相手にこちら以上の力があれば負ける。その力が「権力」の時もあるし、「金力」の時もある。それ以外に「経験力」とか、いろいろな力が作用するものです。

 もちろん、全てを持っている人はいない。だからといって、太郎自身は何も変える必要はない、ということではありません。総裁選に負けた後、党広報本部長を拝命し、毎日、日本中を歩いて回っています。今日もどこかの街角で演説をしているでしょう。そうした日々の中で、身に沁みて感じているものがあるでしょう。きっとそこから、進歩は始まっていると想像しています。

 そもそも、広報本部長のポストも、受けるべきかどうか、彼自身は相当悩んだと思いますよ。応援してくれた人が冷や飯を食う可能性もあるわけだから。広報本部長も冷や飯に見えるかもしれないけど、それをやりたいという人はいるわけで、躊躇したはずです。ただ、そのポストを受けたことで、選挙を手伝い、党や同僚に報いることもできると考えたのでしょう。

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河野太郎・自民党広報本部長

麻生の忠告「飲み仲間をつくれ」

 ――派閥のボスの麻生太郎さんは「太郎は4、5年、雑巾がけをしたほうがいい」と話していたとか。

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source : 文藝春秋 2021年12月号

genre : ニュース 政治