自殺未遂騒動の収拾に乗り出したのはジャニーズ事務所だった
「メリーさんは怒り心頭で」
中森明菜が、六本木の近藤真彦のマンションで自殺を図ったのは1989年7月11日のことだった。
仕事を終えて自宅に戻った近藤が、浴室で血を流して倒れている明菜を発見し、119番通報。左ひじの内側をカミソリで真一文字に切った明菜は慈恵医大病院に運ばれ、6時間に及ぶ緊急手術が施された。
2日後に明菜は24歳の誕生日を、そして近藤は8日後に25歳の誕生日を迎える目前だった。
騒ぎが広がるなか、近藤が所属するジャニーズ事務所の副社長(当時)メリー喜多川は、ある男の行方を捜していた。
近藤の初期のヒット曲を手掛けたRVCレコードの元担当ディレクターで、メリーが最も信頼を寄せていた小杉理宇造である。
小杉はRVCから独立し、当時は明菜が所属するレコード会社、ワーナー・パイオニア(現ワーナーミュージック)と同じグループ傘下にあるレーベル、アルファ・ムーンの代表を務めていた。メリーは事態の収束には小杉の力が必要だと考えていた。
小杉は滞在先の香港で、明菜の自殺未遂の一報を聞いた。妻からの電話でメリーが自分を探していることを知り、「すぐに帰って来て欲しい」という伝言を受けとった。
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source : 文藝春秋 2021年11月号