小説「20160118」

SMAPのいちばん長い日――“公開謝罪番組”担当の放送作家が描く崩壊と再生

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カット・城井文平

 原稿を書き進める手を止めて、スマホを覗くとネットに流れてきたニュース。

 人気俳優が事務所から独立するという。ここ数年でよく目にするようになったこの手のこと。長年お世話になった事務所を離れて独立するということは、この芸能界ではずっとタブーと思われているところがあった。昭和だけでなく平成になっても。

 だが、令和の扉が開くと、その行動を起こすものに対して、随分とそれは軽くなった気がする。変わったのだ。その変化が起きたのは、「あの放送」があったからじゃないかとふと思ったりする。

 

 テレビ番組が作りたくて作りたくてこの世界に入った自分が。人を笑わすために、そんな番組を作りたくてこの世界に入った自分が、その放送に作り手として参加していた。

 沢山の人に涙を流させてしまった「あの放送」に。

 今でもずっと胸に刺さっている。

 あの日に、僕は放送作家として、終わった。

 

【2016年 1月18日 午前1時半】

 日曜日の深夜だというのに、そのクラブのフロアには大勢の人が溢れていた。クラブなんて来たのは何年ぶりだろうか。

 この日、僕が作・演出した芸人さん主演の舞台の上演が大成功し、打ち上げの後にクラブに行こうと盛りあがり、やって来たのだ。

 祝杯を挙げて、フロアに流れる音楽に身を委ねる。テンションが上がってきた。「今日は飲むぞ」と3杯目のハイボールを頼んだ時だった。

 携帯が揺れた。

 嫌な揺れ方をしている気がした。電話の相手は番組のプロデューサー「ハルタ」だった。

 

 この舞台の本番を翌日に控えた1月13日。その日の朝、突如としてスポーツ新聞の一面に出た国民的人気グループの「解散」の文字。この新聞の記事をきっかけに世間は大騒ぎになっていく。

 本当に解散するのか?

 様々なワイドショーで取り上げられ、「解散しないで」という沢山の「願い」と「悲鳴」が大きな渦になっていった。

 

 リハーサルの為、1月13日の昼に劇場に入ると、楽屋にはスポーツ新聞が置かれていた。出演者もスタッフも、みんながスポーツ新聞に書かれていることを僕に聞きたくて仕方ないのは分かった。でも、吞み込んでくれていた。

 

 2015年の年末あたりから、ざわついているのは感じていた。だけど番組を作る側の僕たちには、真実は降りてこない。

 そんな中、自分たちが出来ることは番組を作り続けることしかなかった。

 

 13日に新聞の記事が出てから、ハルタ達とは何度も電話で話をしたが、真実は分からず、僕たちが出来ることは番組を作り続けることだけだった。

 

 だが。2016年1月18日。午前1時30分。

 夜中に震える携帯を見た。不思議なもので嫌な電話というものは携帯の揺れ方で分かったりするものだ。嫌な予感が体を走るが、出ないわけにはいかない。

 フロアを走り抜けて、階段を上がりながらハルタからの電話に出た。

 少し息を切りながら「どうした?」と聞くと、ハルタは言った。

「大変申し訳ないですが、今からフジテレビに来ること出来ますか?」

 

 僕はクラブを出た。

 

【2016年 1月18日 午前2時15分】

 レインボーブリッジを渡っていると、見えてきたお台場のテレビ局。

 真夜中なのにライトに照らされ輝いている。

 その時間にそこに行ったことは初めてではない。真夜中に輝いているテレビ局を見て、夜中でも視聴者を笑顔にする娯楽を作り続けている場所に行くことに、ワクワクした。

 だが、この日はそうではなかった。

 橋を渡るときに感じたのは、不安と恐怖だったかもしれない。

 1月18日の夜10時15分から放送される「番組」はもう完成してあとは放送されるのを待つだけなのだが、もしかしたらあれは放送されないのかもしれないという気がした。

 

 タクシーを降りて、空を見上げると、冬の空に星が輝いて見えてた。

 

 いつも僕の真上に強い光を放ちながらずっと輝いていた5角形の星の光。

 この夜から、その光が薄く見えた気がして。心臓の鼓動が速くなった。不安を取り除くために、深く大きく深呼吸をして、テレビ局に入った。

 13階までエレベーターで上がって行くと、血液が一気に頭に上がって行った。

 

 会議室に着くと、プロデューサーのハルタ、演出のノグチを筆頭に、ADを含めて20人近くのスタッフが集まっていた。

 それを見て、「何か」が起こることがわかった。

 ハルタが言った。「今夜の番組の一部を生放送にすることになりました」。

 番組が始まってから20年。

 アイドルがアイドルを超えることを実現させたこの番組は、時折、国民をあっと驚かせる放送をすることもあった。今までこの番組を急遽生放送にしたことは何度かあった。急遽とは言っても、最低1週間前には決まっていた。

 当日に一部とはいえども急遽生放送にすることは初めてだった。

 一言でいうと「ありえない」ことだが、ありえないことを実行しなければならなかった。

 その生放送は番組側が提案したことではなく、彼らが所属する事務所から「こうしてほしい」という強い願いがあり、局側もそれを受け入れ、緊急の生放送が決まったのだという。

 ここ数日、世の中を大きく騒がせていることに対して、何かしらの答えを届けるのだということはわかったが。

「何を放送するの?」

 僕がハルタとノグチに聞いた。

「まだ何をするのかが決まってないんです」

 そう言った。

「緊急生放送は決まっているのに、放送する中身が決まってないってどういうこと?」

 決まっているのは、世間を騒がせている「解散報道」に対しての「説明をする」ということだったのだが、何をどう説明するのか? どんな放送になるのかは何も決まってなかった。

 こんな状態で今夜生放送を行うなんてありえない。だけど、ありえないでしょと思っているのは、ハルタ、ノグチ、番組スタッフ全員だったはずだ。

 だが、やるしかなかった。

 

 この時点で、この国民的グループを育て作り上げてきたマネージャーさんは外れていた。

 このグループはもちろんだが、放送作家として若くていきがってた22歳の僕を面白がって、チャンスを与えて育ててくれた人でもあった。エンターテインメントを作ることをとことん教えてくれた。僕が世界で一番尊敬している人。

 彼らの番組を作る時は必ず、まずこの人の考えをもとに動いていた。

 この時も、すぐさまその人に電話して「どうしたらいいんですか?」と聞きたかったが、一番、悔しい思いをしているのはその人だろう。だからその気持ちを力ずくで閉じ込めた。

 自分たちでやるしかないのだ。

 

【2016年 1月18日 午前3時半】

 夜中3時を過ぎているのに、ハルタや他のスタッフの電話が何度も鳴る。

 僕とノグチは、生放送の中で出来るあらゆる可能性を探る。

 いきなりの緊急生放送。番組が始まって20年、これまであらゆる困難を超えてきたはずだが、今回は、今まで学んできた方法論が当てはまらない。手探りで捕まえようと思えば思うほど、何も捕まえることが出来ず焦っていく。

 

 テレビ番組とは「ナマモノ」である。ドラマは「作り物」でワイドショーやニュースは「リアル」である。バラエティーはリアルに見せた「ファンタジー」であると思っている。

 出演者はプライベートで辛いことがあったとしても、それを隠し誰かを笑わせようと一生懸命になる。その「辛いこと」が世間に出ない限りそれは成立していく。

 だが、例えば自らの命を絶ってしまった人がいて、それがニュースとなった場合、翌日放送される番組の中でその人がどんなに面白いことを言ったとしても、それは笑えない。

 

 2016年になってから世間を騒がせまくっている「解散報道」に対して、何も言わずに番組を通常放送にしたとしても、視聴者は「今日、番組で何か言うかも」という思いが強すぎて、普通に楽しむことは出来ない。

 だから生放送にして「説明する」ことには大賛成だ。だが、何をどう説明するのかが決まってない。

 放送まで20時間を切っているのに、そんなことありえない。

 

 僕とノグチが一番気になっていたことは「解散するのか? 解散しないのか?」ということだった。

 それによって説明することが大きく変わってくる。解散するとなったら、短い時間で説明できることではない。

 だが、ハルタが言うには「解散はしない」ということだった。だからその説明をする場になりそうだと。

 番組の制作のトップであるプロデューサーや演出、全ての人が「〜らしい」「〜かもしれない」とつけて話す。

 番組を作らなければならないこの現場でも、なぜ緊急で生放送することになったのか? 誰がそれを望み誰の意志で作られるのかがよくわからないまま、進めなければならない。

 不気味だった。

 その不気味さが拭えないまま、やらなければならない。そんな中で、ようやく情報が少しずつ整理されて伝えられてくる。

 事務所側の希望としては、今回の騒動で世の中の人に沢山の心配をかけたから、それを番組ではなるべく明るく前向きに説明をしたいということだった。

 そして出来れば最後に歌を歌う。彼らのヒット曲を。

 僕もそういうものになるのだと思っていた。

 正直、どんな話をしたとしても、最後にみんなが笑顔を見せて歌ってくれれば、番組を見た人の頭の中から「解散」という文字は溶けていくんじゃないかと思っていた。

 

 でも。時間とともに、そんな簡単なものじゃないことに気づかされていく。

 

 結果、日本の芸能、テレビ史上ない、いびつな番組になってしまった。人を笑顔にするバラエティー番組のはずなのに。

 

【2016年 1月18日 午前6時】

 大体の中身が決まった。

 番組冒頭の数分間。メンバー全員で説明をするということ。

 歌唱はなし。

 歌唱がなしになったのは、この状況では歌えないというメンバーがいたからだ。

 

 新聞に「解散」の文字が出てしまうまでには、この先の未来を考えてのそれぞれの考えがあったのだろう。

 それが一つにまとまることがなかったからこそのこの報道。

 だからこそ、今回は最後に歌うことは出来ないのかと考えた。

 歌がないということは、話をするだけで終わりとなる。

 

 結果、今回の騒動で世間の人に心配や迷惑をかけたことを謝る放送をすることになった。

 

 なぜ謝るのか? それを世の中が求めているのか?

 僕も。そこにいたスタッフ全員の中でも疑問があったと思う。

 だとしても、僕らはそんな番組を作らなければならなかった。

 

【2016年 1月18日 午前9時】

 家に着いたときはもう日が出ていた。寝ようと思っても寝ることが出来なかった。なんだかずっと苦しい。

 布団から出てカーテンを開けると、道路に雪が積もっている。

 朝9時過ぎ。メンバーの一人、「タクヤ」から電話が来ることになっていた。

 仕事に出なければいけない妻は、生後半年の息子を抱きながら、タクシー会社に電話をかけるが捕まらなくてイライラしていた。

 僕がリビングでため息をつきながら電話を待っていると、かかってきた。

 電話に出ると、彼の声だった。

 そこから、今日何を話すべきかを話し合って決めた。

 

 僕は22歳の時に彼と出会った。僕と同じ年の彼は、その頃から手を抜くことが嫌いで、ずっと全力だった。

 その全力は日本中を魅了していった。

 

 電話で話しているときに、妻が出かけようとして、息子が泣いた。その声が電話の向こうに届いてしまい、彼は言った。

「ベビーの面倒はちゃんと見ろよ」

 彼らしい言葉。少しだけ僕の中にたまっていた緊張が抜けた。

 

 電話を切り、言葉をまとめて、ハルタに電話した。

 息子を抱いてあやすと笑顔になる。

 その息子の笑顔がなんだか痛かった。

 

 そのあと、本来ならば、昼過ぎからほかのメンバーと会って気持ちを聞き言葉を作っていきたかったのだが、妻が仕事から帰ってくるまで家を出れず。僕が家を出られるのは2時半過ぎ。

 そこまではハルタやスタッフ達にメンバーとの打ち合わせを任せた。

 

【2016年 1月18日 午後3時】

 妻が帰ってきたので、再びテレビ局に向かった。

 放送まで7時間。

 この夜の放送がどんなものになるのか? まだ自分にも想像はついていなかった。

 国民が注目する放送になることは間違いなかった。

 これがいいきっかけになってくれたらいいと、この時点では思っていた。

 

 会議室に入ると、ADさんは慌ただしく走りながら会議室を出入りしている。

 みんなほぼ寝ずの状態で生放送の準備だ。

 そして、ここから僕がメンバーの思いをテレビの言葉にしていくことになる。

 どんな言葉にしていったらいいのか考えていると、「リーダー」との打ち合わせを終えて戻ってきたハルタが、その気持ちを僕に伝えた。

 今回の騒動を経て、世間を騒がせ心配をかけたことに対して申し訳ないと思っている気持ちを伝える。

 だが、リーダーとしては、言葉は最小限にしたいという思いがあった。

 色々と気持ちを語るよりも、今はまず、解散はなく、生放送でみんなに向かって、最小限の言葉で心配をかけたことに対して謝る。

 

 いつも彼はグループを俯瞰的に見てきた。アイドル冬の時代と言われ始めた90年代。歌番組も減っていった。その中で、露出するとしたらバラエティー番組しかなかった。勢いのある芸人さんが続々と出てきて人気になり笑いを取っていく中で、アイドルがそこに出て行き勝負していくことはとても厳しかったはずだ。

 アイドルを飛び越えて「こちら側」に来ようとするな、という空気があり、みな、そこに重い扉を作った。だが、リーダーは、そこを力ずくで開けていった。

 彼が開けたその扉を、メンバーは様々な形で通り抜けて、新たなアイドルを作り上げていった。

 

 自分のことは二の次で、いつもグループとしての見え方を第一に考えていた彼だった。

 常に俯瞰で見ていた。

 

 だから、この日も、自分たちが最小限で話し、終わらせることが、絶対にベストだと思っていたのだろう。

 リーダーの目には常に先が見えている。

 

 ハルタから伝えられたリーダーの願い。

 だから僕は書いた。

 今回の騒動で世の中を騒がせたことへの思い。そのことに対して謝る思い。最小限で。

 

 彼らの言葉や行動は、これまで国民に沢山の夢を与えてきた。

 

 2011年の東日本大震災の10日後。3月21日。その番組は緊急生放送だった。未曽有の大災害が起きて、急遽生放送に切り替えた。

 原発の事故もあり、日本中に様々な噂がたった。芸能人は大阪に逃げている。東京もやばいんじゃないか。

 そんな中、彼らは生放送を行った。生放送が始まり、最初に「リーダー」が言った。

「我々は東京お台場にいます」

 その言葉で、沢山の人が安心しただろう。

 僕も含めて、スタッフもみんな不安だったはずだ。だけど、彼らが生放送を行うことで自分たちを奮い立たせていた。

 

 そのあとも、彼らは被災地に何度も向かった。カメラがなくても向かった時もあった。

 2011年7月に放送された長時間番組。被災地で料理を作る企画。「タクヤ」と「ゴロウチャン」は岩手に向かい、「ツヨシ」と「シンゴ」は福島に向かった。

 僕も福島に同行した。二人が体育館に入ると、沢山の福島の人が出迎えてくれた。大きな手作りパネルには手書きで「福島に来てくれてありがとう」と書いてあった。当たり前の言葉が、ここでは重かった。涙を流している人たちも沢山いた。

 生放送が終わり、二人と僕は楽屋に戻った。そこでシンゴはツヨシに言った。「この仕事をしてきて本当によかった」と。ツヨシも強くうなずいた。

 

 この二つの生放送は、彼らだけでなく、自分やスタッフにとっても大きな自信と誇りになったはずだ。テレビの力で人を笑顔にする。

 希望を与えることも出来るんだ。

 

 会議室で彼らの言葉を書いているときにそんな生放送を思い出して、また言葉を書いた。

 この日の放送が見た人の笑顔を奪うものになるとは思わずに。

 

【2016年 1月18日 午後6時】

 テレビを通して沢山の人を笑顔にしてきた彼らに、悲しい言葉を言わせたくなかった。

 そんな言葉は誰も望んでいないのは分かっていたから。

 今まで彼らがこの言葉を言ったら面白いかな、格好いいかな、と考えてきたのに。

 この日に考える言葉はそうではなかった。

 

 2時間近く考えて、書いた言葉は、ほぼ同じような中身だった。

 迷惑をかけたことに対する謝罪。

 言葉を変えて並べただけだった。

 どんなに考えてもそれが精一杯だった。

 

 ハルタやノグチにその言葉を見せた。

 本人たちに見せる前に、当然、事務所に見せなければならない。

 

【2016年 1月18日 午後7時】

 ハルタが原稿チェックを終えた事務所の返事を伝えてきた。

 もっと個人の思いとか言葉はないのだろうかという返事。

 そこから多少言葉を足したが、それが限界だった。

 それをまた返すと、OKが出て、それで行くことになった。

 事務所側からしたら、決して満足いくものではなかったはずだ。もっと本人たちから言葉を引き出して作ることは出来ないのか? と思ったことだろう。彼らと20年間この番組をずっと一緒にやってきたはずの僕に対してガッカリしたに違いない。

 だけど、僕が何を思われてもそれでいいと思った。

 

【2016年 1月18日 午後7時半】

 言葉が決まり、演出のノグチと一緒に、本人たちの楽屋を回り、伝えていくことになった。

 僕らの前ではいたって明るく振る舞っていたリーダー。

 その明るさが自然でないことはわかった。

 この状態でも、何とかその空気を作ろうとしている責任感。

 

 一人ずつ楽屋を回り、言葉を書いたメモを置いていく。みな、いつもと変わらぬように振る舞っている。

 なんだかその姿を見て、「もしかしたら自分たちはとんでもないものを放送してしまうのかもしれない」という思いが過る。

 得体のしれない不安が体を占領していき、心拍数を上げていく。

 メンバーはこの数十倍、数百倍の不安なんだろうと思い、自分を落ち着かせる。

 

【2016年 1月18日 午後8時】

 自分の作業は終わり、スタッフと今後の収録予定などを話してみるが、集中出来ない。

 ただ始まるのを待つしかない。

 時間が経つのがこんなに遅く感じたのはいつ以来だろう。

 

 知人からLINEが届く。そこには「今日の生放送楽しみにしてるね」という言葉もあった。

 楽しみにしていた人も沢山いたはずだ。

――解散することはない――

――これからも5人で一つになり、楽しい放送をやっていく――

 そういったことを5人の口を通して言ってくれると信じていた人は少なくない。

 面白い放送でもない。格好いい放送でもない。感動する放送でもない。

 ただ、見た人には解散しないことは分かり、最低限の安心を感じてほしいと思った。

 それだけでも伝わればと。

 

 何度見ても動かなかった時計の針がようやく放送まで1時間を切った時に、ハルタが僕のことを呼んだ。その時、ハルタの顔を見て、僕の鼓動はさらに速まった。

 

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source : 文藝春秋 2023年1月号

genre : エンタメ 芸能 テレビ・ラジオ 読書