ユダヤ難民救出「80年目の迫真証言」

もう一人の杉原千畝

樋口 隆一 樋口季一郎孫・明治学院大学名誉教授
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イスラエルが今も感謝する軍人・樋口季一郎の謎に迫る──(取材・構成・早坂隆)

「遺族」と対面した樋口隆一氏 ©時事通信社

「樋口季一郎」という人物をご存知だろうか。「日本人によるユダヤ難民救出」と言えば杉原千畝が有名である。しかし、実は救出劇はもう1つ存在した。それを指導したのが陸軍軍人・樋口季一郎である。
 樋口は明治21年、淡路島の生まれ。大阪陸軍地方幼年学校から中央幼年学校、陸軍士官学校へと進んだ。石原莞爾は中央幼年学校時代からの同期で親友である。
 その後、陸軍大学校を経てウラジオストック特務機関員、ポーランド公使館付武官、歩兵第41連隊長(福山)などを歴任。ロシア問題を専門とする「情報将校」としての軍歴を歩んだ。そして、昭和12年、ハルビン特務機関長に就任する。
 杉原による「命のビザ」の2年前にあたる昭和13年3月、ソ満国境の地・オトポールに逃れてきたユダヤ難民に対し、樋口は特別ビザを発給するよう満州国に指導。多くの難民の命を救った。これが「オトポール事件」である。
 オトポール事件後の樋口は、アッツ島玉砕、キスカ島撤退、さらには占守島の戦いと、日本の歴史を左右する大きな戦闘を指揮。アッツ島の戦いでは、東京の上層部が救援部隊の派遣を断念した結果とは言え、樋口は「最初の玉砕戦の司令官」となった。一方、キスカ島ではアメリカ側から「パーフェクトゲーム」と呼ばれるほどの見事な撤退戦を成功させた。
 また、もし占守島の戦いでソ連軍の奇襲に敗れていたら、北海道は分断されていた可能性が高い。樋口とは、それほど先の大戦において重要な役割を担った人物であった。
 そんな樋口は戦後、多くを語らなかった。昭和45年10月、老衰のため死去。享年82。彼の存在は歴史の闇に消えた。
 しかし近年、そんな樋口への関心が高まっている。ネットなどで情報が徐々に広がった結果、「樋口のことをもっと知りたい」という人たちが増えつつある。こうした状況の中で今年6月、樋口の孫にあたる隆一氏が初めてイスラエルを訪問し、「ヒグチ・ビザ」によって救出された方のご遺族と歴史的な対面を果たした。樋口の孫である隆一氏は現在、明治学院大学の名誉教授で、専門は西洋音楽史である。家族の相関としては、季一郎の長男である季隆の息子ということになる。その他にも、新たな史料や証言も発掘されているという。隆一氏に話を聞いた。

ユダヤ人の来客

 祖父・樋口季一郎に興味を持つ方が増えているというのは、私としても嬉しいことです。早坂さんに『指揮官の決断 満州とアッツの将軍 樋口季一郎』という本を2010年に書いていただいたけれども、それ以前は「ユダヤ難民を救ったなんて話はフィクションだ」などと言われることさえあったんです。しかし、いろいろな史料や証言が出てきて、祖父の行為が裏付けられるようになりました。実は昔は私もさほど関心がなかったのですが、最近では人から質問される機会も多くなり、教授をしていた明治学院大学を定年退職した後、自分でも調べるようになりました。

 祖父とは一緒に生活した時期もありましたが、戦争の話をベラベラとする人ではありませんでした。彼は情報将校ですからね。基本的に情報将校は家では仕事の話はしません。しかし、ユダヤ人の方とか、元部下の方とか、祖父のもとに来客が訪ねてくるでしょう。そんな時には、話を聞くことができました。

 樋口のハルビン特務機関長就任時、日本は中国との紛争下にある(支那事変、日中戦争)。日本は前年にドイツと防共協定を結んでおり、事変に関する和平交渉の斡旋役としてもドイツに期待するところが大きかった。日本とドイツが急速に接近した時代であった。
 そんな中、昭和12年12月、ハルビンで第1回極東ユダヤ人大会が開催された。当時、ヨーロッパにおいてナチス・ドイツはユダヤ人への迫害をすでに始めていた。ハルビンは歴史的にユダヤ人が多く住む街だが、ナチスの暴走を世界に訴えるため、このような大会が催されたのであった。
 この大会を企画したのは、ユダヤ人のアブラハム・カウフマンである。カウフマンはハルビンで医師をしていたが、アジアにおけるユダヤ人社会の有力者であった。大の親日家でもあったカウフマンの求めに応じるかたちで、樋口はこのユダヤ人大会の開催を許可。自ら来賓として同会に出席し、ユダヤ人に同情を寄せる内容のスピーチまで行なった。ドイツとの関係性を考えると難しい選択だったはずだが、以前にポーランド駐在の経験のあった樋口は、ユダヤ人問題に理解があった。
 この大会に関しては現在、様々な研究が進められているが、このたび新たな史料として、樋口が同大会の直後にインタビューを受けた地元の新聞記事が隆一氏によって発見された。

原稿の束の中に……

 昨年、1枚の新聞の切り抜きを見つけることができました。東京の自宅から出てきたんです。ことの始まりは、アメリカ在住のユダヤ人のラビであるマーヴィン・トケイヤーさん。トケイヤーさんは日本での生活も長く、著作も多くあるので、ご存知の方もいらっしゃると思います。

 そのトケイヤーさんが来日して、樋口家を訪問したいと。「何でもいいから、オトポール事件当時のものを見せてくれ」というわけですね。それで一生懸命探しました。

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source : 文藝春秋 2018年10月号

genre : ライフ 社会 国際