news zeroメインキャスターの有働さんが“時代を作った人たち”の本音に迫る対談企画「有働由美子のマイフェアパーソン」。今回のゲストは、数学者の新井紀子さんです。
新井さん(左)と有働さん
「ロボットは東大に入れるか」。第一人者が明かすAIの限界
有働 新井先生が3年前、『NHKスペシャル』の「マネー・ワールド~資本主義の未来~」に出演されたのを見て、すごい方だなと思いました。同じくゲストだったソフトバンクグループ社長の孫正義さんをこてんぱんに……と言ったら何ですが、黙らせてしまって。
新井 あれでもカットしているんですけどね(笑)。孫さんには、雇用を得られずに社会からこぼれ落ちる方々に対して、現代の資本家としてどうお考えなのかというご意見を聞きたかったんです。孫さんお一人がどうのという問題ではないので責めたつもりではなくて。ただ、孫さんでも「こうすればいい」という答えをお持ちでなかったのは深刻なことだなと思いました。
有働 先生の問いかけが2つの点ですごく勉強になって、思わずメモを取ったんです。1つは、成功者に対して多くの人が言いづらいであろうことを、淡々と切り込んでいかれたこと。2つ目は、芯を食った質問は何より強いというか、孫さんだけでなく聞く人すべての心に刺さるのだな、ということでした。
新井 数学者だからタブーがなくズバズバ聞けるのかもしれません。最後は紙と鉛筆の世界に帰ればいいという意識がどこかにある。それに、数学はイノベーションの単位が100年や1000年なので、長いタイムスパンで物事を考えることが刷り込まれているんです。そんな数学者の感覚で、空気を読まずに聞いちゃいました。
有働 数学者最強説が唱えられそう。そんな強いイメージの一方で、今、オンラインでお話ししている画面越しにかわいいお花が映っているのが気になって。ご自宅ですか?
新井 はい。ちょうど昨日あたりから庭の菊が咲き始めて。
有働 お庭に菊が!? すごい、豊かな生活を送っていらっしゃる。
新井 庭仕事とお料理はすごく好きなんです。あとは編み物かな。
「AI」と「AI技術」
有働 先生のことを簡単にご紹介すると、国立情報学研究所の社会共有知研究センター長・教授でいらっしゃいます。そして先生といえば、AIです。AIの可能性と限界を探る「ロボットは東大に入れるか」プロジェクトのリーダーをされ、ご著書の『AIvs.教科書が読めない子どもたち』(東洋経済新報社)は30万部を超えるベストセラーになっています。私もこの本を読んで「そうか、AIが人知を超えて社会問題の解決策を出すわけがないんだ」と初めて理解することができました。
新井 「AIが人知を超える」という言い方は、メディアでもよく使われます。でも人の判断を超えるというのは、言い換えれば、人の判断とは違う、ということですよね。
有働 そうですね。
新井 AIとはコンピューターであり、コンピューターは計算機であり、計算機は計算しかできません。「超える」という日本語は気持ちの問題であって、数学では「違う」としか出せない。人と違えば数学的には「このAIは精度が落ちた」ということになってしまうんです。
有働 とはいえ、人知を離れたアイデアがほしいからAIに頼る、というのは可能ではないですか?
新井 「将棋や囲碁で人知を超えることはあるじゃないか」とおっしゃる方がいます。確かに将棋などのようにルールが限定されていれば、AIが計算力を発揮できます。逆に言うと、AIは課題のフレーム(枠組み)を決めないとうまく働かないんです。これを「フレーム問題」というのですが、条件が簡単には限定できない現実問題、たとえば答え合わせがすぐにできない政治や人事などには適さないんです。
だから、AIというのは「膨大なデータを分析するのに非常に役立つ技術」だと捉えたほうがいい。それ以上のことを期待するのは、大本の数学に限界があります。
有働 そもそも「AI」と「AI技術」が混同されていると、ご著書でも指摘されていましたね。AI=人工知能とは、本来、情報検索技術や音声認識技術といったAI技術の開発の先にあるゴールです。それなのにAI技術をAIと呼ぶことで、実際には存在しないAIが存在しているか、近い将来に登場するかといった勘違いが生じている、と。
新井 AIという名付けの妙というのかな。コンピューターが使うのは計算可能関数という関数群ですが、アラン・チューリングが理論を打ち立てたこの約85年で何も変わっていないし、この範囲でしか技術を作れません。それが理論上わかっているのに、AIと言うと、限界を超えた何かが出てくると多くの方が思い込んでしまう。それはなぜかというと、皆さん、数学の知識がないからかなと思いますね。
30万部のベストセラーとなった
AIは「世界を変えるのか」
有働 メディアに頻出する「AIが社会を変える」「AIが国家をつぶす」といった表現は、どうご覧になってきたんですか。
新井 残念な感じだなと(笑)。
有働 「この人たち、何言ってるんだろう」みたいな(笑)。
新井 たとえばVR(バーチャルリアリティ)技術が世界を変える、とは言えなくはないです。でも五感のうちコンピューターで送れるものは視覚と聴覚だけで、それと振動でVRは現実と錯覚させるわけですよね。味覚や嗅覚、身体性などが失われるという意味で「世界を変える」ことはあると思いますが、それは本質的なことではないですよね。
有働 確かに。
新井 ネットワークで空間を超えられると言っても、時差は超えられない。空間を超えてお話ししようとして、こっちが昼で向こうは夜中だったりするのは不健康だな、と個人的には思います。
有働 もし時間も超えられて、同じ昼の2時頃で……。
新井 それはアインシュタイン的に無理ですから。
有働 なるほど~。
新井 数学が自分の中にインストールされていると、そういう空想に走らないですむんです。
高校時代の夢は外交官
有働 数学、ちゃんとやっておけばよかったな。
新井 でも私も、高校までは全然できなかったんですよ。
有働 えー、そんなことはないですよね?
新井 ホントに。中高と1番嫌いな科目が数学だったんです。かけ算の7の段とか、今でも間違えます。
有働 ええっ!?
新井 数学者のくせして「シチロク、えー、なんだっけ」みたいな。
有働 数学者のイメージって秒速でピコーンと答えが浮かぶような。
新井 それはそろばん名人ですね。
有働 そうか、数学者とはまた別なのか。理系でも工学部なら就職まで紐付きますけど、数学って勉強した先が一般人にはちょっと見えづらいですよね。先生も最初は、一橋大学法学部に進学されたんですよね。
新井 そうそう。数学が大嫌いだったから「理系はないな」と思ったのと、外交官を目指していたので、国際関係論を学びました。
有働 当時はなぜ外交官を目指していたんですか?
新井 はっきりした動機はないですけど、高校2年生くらいの時に、女性外交官のニュースを見て「女性でもなれるんだ」と思ったんです。でも法学部で学ぶうちに、人間相手だと揺れるから面倒くさいな、もうちょっとカッチリした言語をやりたいなという気持ちになりました。
有働 それで嫌いだったはずの数学に目が向いたのですか?
新井 きっかけはくだらなくて、一橋って文系大学でしょう。みんな数学ができないから、クラスで一番になれたんです。中学高校とずっと苦手な方だったから、初めてできたことがうれしかったんですよ。
有働 それでイリノイ大学数学科を目指すとは、唐突すぎませんか。
新井 両親もびっくりして「お前は外交官になるつもりじゃなかったのか」と叱られました。「遺伝的に数学が得意じゃないから無理だろう」とか説得されて。
有働 ご両親の気持ちもわかるような。
新井 だから1年だけ留学して、ダメだったら帰国して就職してお嫁に行くから、という約束だったんです。いざ行ってみたらそこそこできて奨学金が出て、帰らずにすみました。でも、一応は数学者になった今でも「自分に数学ができるはずがない」という思いはずっと根強くありますね。
有働 ちなみに、大学受験の数学の問題は今なら解けますか?
新井 全然解けない(笑)。
科学者は少し嘘をつく
有働 うーん、数学者というものがわからなくなってきました。
新井 数学者って、ある意味で言語学者みたいなものなんですよ。16世紀から17世紀にかけて科学革命が起きて、コペルニクスやガリレオ・ガリレイ、デカルトやパスカルといった人たちが登場しましたが、それ以前は科学を表す言葉がなかったんです。でもガリレオは、埋もれていた古代ギリシャの数学が、物理現象を表現するのにいい言語だなと考えた。それが「宇宙は数学という言葉で書かれている」という彼の名言になっていて、その後、科学の発展とともに言語としての数学も整備されていきました。
有働 なるほど、言語学者みたいというのはそういうことですか。
新井 私は数学の問題を解くのはあまり好きじゃないけど、言語としての数学を研究するのが面白かったんです。どんな現象にどんな言葉を使うのが適切かな、とか。本当の現象に対して少し嘘をつくというか、詐称して数学に乗せることとか。
有働 嘘をつく?
新井 たとえばニュートン力学ではいろいろと目をつぶって書かれていることがあって、19世紀になるとそれを説明しきれなくなって、20世紀にアインシュタイン力学が生まれます。メンデルの法則も、あんなにきれいな実験結果が出るわけがないので、改ざんしていると思うんですよ。
有働 きれいな結果になるように。
新井 はい。AIに使われている確率と統計の考え方も似たようなものです。確率分布はとりあえず正規分布だと思わないと話が始まらないけど、本当に正規分布になるかは、神様しか知らないわけです。
有働 確率論を考えたパスカルなどはどうですか?
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source : 文藝春秋 2022年1月号