「戦後」の正体 

第1回 いまなぜ検証するのか?

辻田 真佐憲 近現代史研究者

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 いよいよ戦後史を語らなければならない。その切迫した理由として、まず挙げるべきなのが憲法改正の現実味である。

 先月8日に実施された衆議院選挙では、高市早苗首相率いる自民党が歴史的な大勝を収め、単独で3分の2を超える議席を獲得した。これを受けて、首相自身も改憲への意欲をさっそく明らかにしている。参議院ではなお発議に必要な議席数に達していないものの、2年後に行われる予定の参院選を見据えながら、改憲が今後の日本政治における主要な争点のひとつとなることはほぼ間違いないだろう。

 では、この局面でなぜ戦後史が不可欠なのか。それは、現行憲法が戦後という時代の理解と不可分に結びついているからにほかならない。

 現行憲法があったから、戦後日本は戦争に巻き込まれずに平和国家を実現できた。いや、この押し付け憲法を改正せずにいたために、日本は国家としての自立性や誇りを失った――。このように日本において憲法をめぐる議論は、個々の条文の是非を超えて、国家像や歴史認識と密接に関係している。そのため、古く誤った戦後観は憲法論議に悪影響を及ぼしかねない。われわれが戦後史をあらためて語らなければならないゆえんである。

辻田真佐憲氏(筆者提供)

 それに加えて、すでに戦後80年を経過したという事実も押さえておくべきだろう。

 昨年の戦後80年は、時代の変化を痛感させずにはおかなかった。当時の石破茂首相の所感は8月15日の終戦記念日に発出されず、10月10日という曖昧な日にずれ込んだうえ、公明党の連立離脱という劇的なニュースによってかき消されてしまった。ウクライナなどで実際の戦争が続いていることもあり、古い歴史をめぐる議論はいまいち盛り上がらなかった。戦争体験者の減少とも相まって、「8月ジャーナリズム」的な戦争の振り返りがいまや明らかな限界を露呈しつつある。

戦後史が「退屈」な理由

 戦後はもはや戦前(明治維新から終戦まで77年)を時間的に上回った。現在との連続性を視野に入れるならば、戦後史のもつ重みは強調するまでもない。そして戦前の教訓を正しく継承するためにも、現在との接点としての戦後はこれまで以上に深く語られなければならない。

 にもかかわらず、戦後史はどこか掴みどころがなく茫洋としている。自分自身が生きた時代については具体的に生き生きと語れるし、個別にみれば興味深いできごとも多い。しかし、ひとたび通史となると叙述は総花的になり、似たような時代区分(占領期、高度成長期、オイルショックを経ての安定成長期……)が繰り返され、どうしても平板な印象をまぬかれない。

 あえてこう言い換えてもいい。なぜ戦後史はこれほどまでに「退屈」で、気乗りしないものなのかと。

 戦後が「成功」とみなされてきたことは、その大きな一因だろう。対照的に位置づけられる戦前は、大東亜戦争の敗北という明確な「失敗」で幕を閉じた。そのため、「なぜあのような結末にいたったのか」という問いが切実なものとしておのずと立ち上がってくる。「同じ過ちを繰り返さないために学ばなければならない」という動機も理解されやすい。

 歴史は純粋な事実の羅列ではなく、現在からの問いかけで姿を変えていく。そのため、強烈な問題設定を与えられた戦前は、多くのひとを引き付ける高いコンテンツ力を備えているといえる。

 これにたいして戦後は、長らく「成功」とみなされてきたがゆえに、「なぜわざわざ戦後史なのか」という問いかけに答えにくい。「うまくいっていたのだから、わざわざ問い直さなくてもいいだろう」というわけだ。

 もっとも、これがたんなる成功であれば、その条件や仕組みを解き明かすというアプローチもありえたかもしれない。だが実際には、そうした試みもあまり歓迎されてこなかった。その背後には、戦後史を深く掘り下げれば「不都合な事実」に行き当たり、われわれの拠って立つ地盤そのものが揺らいでしまうのではないかという、より根源的な不安が潜んでいるのではないだろうか。

 戦後の成功神話は、日本国憲法を神聖不可侵とする左派だけでなく、一見すると戦後に否定的と考えられている右派からも、実のところ広く支持されてきた。バブル崩壊以降、「失われた30年」という言い回しが幅広く定着したのもこれと無縁ではない。そこには、ある時期までの戦後が「本来あるべき日本」で「取り戻されるべき黄金期」だという歴史観が暗黙のうちに埋め込まれていた。

 しかし、理想とされた時代を詳しく見ていけば、その回復がまったくもって不可能だという冷厳な結論に行き着く恐れがある。そうなれば、国民的に漠然と広く共有されてきた「取り戻す」「あのころはよかった」という物語そのものが成り立たなくなってしまう。それはあまりにも都合が悪い。それゆえに戦後史は、あえて退屈なものとして放置されなければならなかった――。

 だが、すでに述べたとおり、もはや同じような態度を続けることはできない。われわれは戦後史にたいして新たな問いを立て、これまでとは異なったイメージを構築しなければならない。それは、黄金時代という幻想にすがることでもなければ、ただ神話を破壊することでもない。戦後史の内部に分け入り、そこから今日に通じる可能性を掘り起こし、それを現在へと前向きにつなぎ直す作業なのである。

 もとよりこれは「たかが歴史」の話ではない。歴史はしばしば鑑(かがみ)として用いられ、日常的な判断や選択を拘束してくる。使い方を誤れば、今日のわれわれを苦しめることさえある。戦前の国体論が楠木正成や北条時宗を理想化し、その結果として無謀な特攻や玉砕を後押ししたように。いまをよりよく生きるためにこそ、戦後史を語らなければならない。そしてそれは、憲法改正を真剣に考えるべき現在の局面において、きわめて実践的な意味を帯びている。

 とはいえ、ここでさきを急いではいけない。われわれはまず、「失われた30年」以前の時代が、いかなる時代であったのかを確認する必要がある。それは、多くの点で卓越した時代だった。しかし同時に、卓越性のゆえに幻想的な語りを生み出し、それが長く温存される土壌ともなった。われわれ自身の内面に深く根を張る神話と向き合うためにも、その誕生の経緯をあらためて把握しておかなければならない。

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source : 文藝春秋 2026年4月号

genre : ニュース 社会 歴史