275通もの貴重な投稿から選ばれた「生活の知恵」。少しずつ、小さく、年寄りの力で、世の中を昔に戻しましょう。
倉本さん
寄せていただいた文章を読んで
私の書いた「老人への提言」。「貧幸」に戻ろう! という提案に対し、沢山の御返事や御意見をいただきました。まずそのことにお礼申上げます。
『文藝春秋』の読者ばかりですから、これが果して全日本人の考えるところかどうかは判りません。殊に「老人への」と特化してしまったせいか、『文藝春秋』の読者層のせいか、若い世代の意見が殆ど見られなかったということは、僕の作戦の誤りだったと反省しています。
社会への若者の無関心、政治への若者の無関心、選挙の時の若者の投票率の低さ、コロナ時に於ける若者たちの非協力。等々を見ていると、真面目に世の中のことを考えている若者がどれ程いるのかということに不安を覚えざるを得なくなり、次の老人への提言は「若者への文句を遠慮会釈なくぶちまけよう!」などという過激な特集を編んでもらったら如何かと、不穏なことを考えてしまったりするのです。
とはいえ日本の若者がみんな駄目かというと、決して決してそんなことはなく、グレタ・トゥンベリさんよりはるか以前に、似たようなことを叫んだ日本の一少女もいたのです。残念乍ら認知症のせいもあり、今その資料が見つからないのですが。
ともあれ、今回こゝに寄せられた皆様の体験談、御意見等を、我々老人がただなつかしがって読むのではなく、若者たちに読んで欲しい、今読んでもらわなければ意味がない、と僕は真剣に思います。
そこで、この度お便りをいただいた中から各論に移って行きたいのですが。
まず農業の話から入ります。
農業
御老人の多い集まりで、肥担桶(こえたご)の話を致しますと、人々の顔が必らず輝きます。ある世代から上の年齢、つまり昭和30年生まれ以前の方々は、肥担桶、肥え壺、下肥えの世界を多かれ少なかれ経験した世代です。GHQの命によりそれが日本から消えてゆき、農薬の時代に代って行きますが、それは一方でレイチェル・カーソンが喝破したように“沈黙の春”という事態を招き、生態系の破壊を招いて循環型社会を壊して行きます。
かつての日本では糞尿というものは、食う→出す、という人の営みの中での最も単純な循環の一歩であり、大きな資源の一つでありました。それが単に不潔だからということで只の廃棄物にされてしまったことに、僕は大いなる疑問を持つものです。
水
かつて富良野で若者相手の塾をやっていた時、その起草文にこう書いたことがあります。
“石油と水はどっちが大事ですか”
石油の方が値段が高いから、一見石油の方が大事に見えます。しかし、石油がなくても生きられますが、人間水なしには生きられません。水の豊富な日本にあってはどうもこのことが忘れられている気がします。
しかも最近はミネラルウォーターという商品が流行し、水道の水が飲めるのに金を払ってそっちを飲みます。ミネラルウォーターのボトルとふたが、どの位ゴミとして地球を汚しているか、そのことに早く気づいて下さい。又、その命の水を貯え、供給してくれるのは、上流の森です。それも森にある木の幹ではなく、葉っぱです。葉っぱは光合成で我々に酸素を供給し、しかも落葉が水を貯えることで、人間の水がめになってくれているのです。しかし人類は古今東西森を見る時“幹を見て葉を見ず”の姿勢でした。このことに早く気づいて下さい。
あかり
季節によってちがいますが、大体日の出は朝5時前後です。然るに会社の始まるのは殆どが9時で、この間に“折角明るいのに働いていない”時間が4時間近く存在します。一方日の入りは午后6時前後で、こゝから暗くなり電気が必要になるわけですが、5時から6時の仕事時間が終っても電気をつけて残業する奴がいる。更にはこゝからが俺たちの時間だと町にくり出す奴がいる。これが電灯の消費時間になります。更にその時間を彩る為のネオンやイルミネーションの恥ずかしい浪費。
昔、日本の時間制度は日が上ったら明六ツの鐘、日が落ちたらば暮六ツの鐘、その間を分割して時を決めたと、そういう話をきいたことがあります。何と合理的ではありませんか。大体ネオンのケバケバしさにはわびもさびもあったもんじゃありません。日本の文化が死んで行くわけです。
衣服
衣服とは本来外傷や寒暖から身を守る為のものであり、ファッションとは元々用途の異なるものではないかと僕は思っています。
ファッションが髪型やツケマツゲやメーキャップやネイルと同類のものであるなら、衣服を利用してそうしたファッション、いわばある種のアートを誇示することは悪いことではないと思います。しかし本来の衣服の目的よりも、アートのいわばキャンバスとしての価値の方を重視してしまって、流行りだから買う、飽きたから捨てるをくり返し、結果大量の廃棄物を産み出しているのは、生物の中でも人類だけで、悧巧なことだとはとても思えません。
これこそ人間のゆとりが生んだ、無駄に基く趣味の領域で、そこへ走るのも権利だというなら、せめて10代に1つ20代に1つと、数に制限をつけてみたらどうでしょう。
そしたら貧幸の時代にそうだったように日本人の審美眼ももう少し磨かれてくるのではないでしょうか。
冷暖房
40数年来、森の中に住んでいます。
最初は直径50センチ位の太いシラカバ、ミズナラ、ハルニレ、センノキ、ハンノキ、ドロノキなどの繁茂する荒れ果てた森でしたが、40数年という歳月の間に大水や嵐、寿命などでほゞ半数が入れ代り、しかし今は又新しいコブシ、アカエゾ、アカシアなどがかなり盛大に繁茂して、屋根をすっかり覆ってしまっています。
ですからわが家の家の中の温度は、冬は暖かく夏は涼しく町との温度差は4、5度あります。
だからといって真冬はマイナス20度以下に凍りつく土地ですから、冬の寒さは半端ではありません。今まで体験した中ではマイナス34度というのが最低でしたが今は温暖化で大分楽になりました。
マイナス20度を超える夜でも、僕は頭の上の窓を少し開け、表の冷気をとりこむことを習慣にしています。冷気の中で頭と顔を冷やし、下半身は布団につっこんで寝るのが僕の唯一の健康法です。
夏はやっぱり暑いです。
こゝは夏場は35、36度まで平気で上る土地ですから。でも木々のおかげで家の中はかなりしのぎ易く、暑いのは大体10日間位で8月の末には又ストーブです。ですから我が家にはクーラーはなく、40数年ずっと来ましたが、さすがにこのところの温暖化による暑さには、87歳という年齢もあって周囲の者たちから心配され、冷暖兼用の器具をつけました。でも今のところ(7月中旬)まだ1度も使っておりません。
都会の猛暑には同情しますが、残念乍ら僕にはそれについて意見を述べる資格がありません。
ゴミ
かつて『地球家族』という写真集を見て非常に興味深く思ったことがあります。
世界各国の貧富様々な家庭を無作為に選びその門前に、その家の中にある物を一切出してずらりと並べる。それは家具、電化製品から衣裳、冷蔵庫の中身まで全てなのですが、それらの物の前でその家の家族が集合写真を撮るという奇抜にしてユニークな企画でした。
結構洒落た大きな家の前に殆ど僅かな物だけが並び、親子数人が立っている写真。
さして豊かでない住居の前に、やたら着る物が豊富な家庭。
他人の家をこれまであんまりのぞいたことはなかったけれど、まぁ世間にはこれ程多様な家族の暮し方があったのかと大変驚き、勉強になりました。
中でも唖然となったのは、いくつか紹介された日本の家庭です。
とにかく一軒の家に対し、その家の中にある物品が多い! 自宅の門前に並び切らず、隣の家の前まで積み上げられている! その前に並んでいるわずか少数の倖せそうな家族の肖像には、思わず笑ってしまいました。
日本の家庭にはとにかく物が多い。
諸外国の家庭に比べて群を抜いています。
そしてその中には恐らく滅多に使わないもの。別に今すぐ必要でないもの。本当はあっても仕方のないもの。単なる思い出にとってあるもの。即ちいつでもゴミになり得るものが余りにいっぱい保管されている。云い方をかえれば日本の家屋は、無駄なもの、将来ゴミとして捨てられる品々の一つの巨大な物置きなのだ。そう思わざるを得なかったのです。
物が家の中に多いということは、沢山の買物をしたということです。それは買いなさい買いなさい。消費しなさい。金を使いなさいという国の方針に、国民が従順に従って来たということです。
その従順さに今更ながら驚きます。
我々日本人は政府の云いつけを守りすぎた揚句、浪費中毒者にされてしまったのです。
日本中、どこの病院を探しても浪費中毒科という診療科目を置いてある所はありません。しかし明らかにこの国には、国策によってそういう病気に罹ってしまったものが無数にいるのです。
日本のゴミについて考える時、我々はまずこのゴミの出る源泉、即ち大量消費という国策について真剣に考えるところから始めねばなりません。
まとめ
この度お寄せいただいた御意見から、僕の持った感想を少しだけ述べさせていたゞきました。
ところで。
何か一つのことを考えたり始めたりしようとする時、僕が常に大切にしている一つの言葉、文字があります。
それは「創」という漢字です。
僕の仕事は、「創作」という仕事です。
創も作も、つくるという意味ですが、創のつくると作のつくるは全く意味がちがいます。
知識と金を使い、前例に倣(なら)ってつくることを「作」と云います。
それに対して金など使わずに、知識でなく智恵で、前例にないものを産み出すことが「創」という行為です。
僕の定義では、それが「創」です。
これはなにも、文章を書いたり物をつくったりすることに限りません。あらゆる思考、あらゆる行動に、創と作とはあると思います。
作は容易に考えつきますが、創には深い思考の転換と変革への度胸が必要とされます。何しろ世の中は本質的に保守的で現状の変化を好みませんから。
今の豊饒の日本から貧幸の日本へ戻せと云ったって、なつかしがる人は多少いたとしても実践する人、行動を起こす人はほんの一握りしかいないでしょう。それは仕方のないことだと思うのです。
皆様からの手紙の中に、徳島県在住、92歳、無職の方からのお便りでこういうものがありました。
「今、『ポツンと一軒家』というテレビ番組がみられている。あそこに登場する主役の生き方こそ現代の人類に求められていると常に思っている」
僕も全く同感です。
観たことのない方は是非観て下さい。
あそこに登場する人々の生き方こそ、正に僕らの目指すべき道であり、堕落した今のテレビ番組の中であゝいう創意に充ちた番組を創り、それがそこそこ視聴率をとっているという事実こそが希望の光であると僕は思うのです。
少しずつ、小さく、年寄りの力で、世の中を昔に戻しましょう。
(次頁より倉本さん選考の投稿が続きます)
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source : 文藝春秋 2022年9月号