死ぬならがんがいい

特集 がんと生きる

垣添 忠生 日本対がん協会会長・国立がん研究センター名誉総長
中川 恵一 東京大学医学部附属病院放射線治療部門特別顧問

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ライフ 医療

「がん対策基本法」成立から20年。がん医療はどう変化したか

「がん対策基本法」が成立して、今年で20年を迎えた。地域を越えて国民が同じがん治療を受けられるようにすること(均霑〔きんてん〕化)や、放射線治療や緩和ケアといった手術以外の治療の拡大などを目指した同法によって、日本のがん医療はどう変化したのか。長年その最前線に立ち、自身もがん治療を経験した2人が語り合った。

がん医療の最前線に立ってきた垣添氏(右)と中川氏が語り合った ©文藝春秋

■かきぞえただお 1941年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒。75年から国立がんセンター(現・国立がん研究センター)に泌尿器科医として勤務。同病院長、総長を歴任。現在は名誉総長。主著に『妻を看取る日』
 

■なかがわけいいち 1960年、東京都生まれ。東京大学医学部卒。同附属病院で放射線治療に携わり、緩和ケア診療部長も兼任。厚労省がん対策推進企業アクション議長も務める

 垣添 2006年にがん対策基本法が成立し、がん医療をめぐる状況は様変わりしました。全国に「がん拠点病院」が設置され、日本のどこにいても同じ医療を受けられるようになった。いまでは約460カ所が指定されています。拠点病院には、がんの不安や悩み、療養生活について相談できる「がん相談支援センター」の設置も定められている。法律ができると、こんなにも世の中が変わるんだと思いました。

 中川 拠点病院になると、放射線治療の専門的な医療、緩和ケアの体制などを整備しなくてはいけない、といった決まりがありますね。

 病気について作られた最初の基本法としても画期的でした。近年では、脳卒中・循環器病対策基本法や、一昨年も認知症基本法が施行された。がんが成功例になっています。

 垣添 がん対策基本法ができた経緯を振り返ると、私が国立がんセンターの総長になる直前の2000年頃から、各所で「わが国のがん医療はおかしいのではないか」という声が上がってきたことが大きかった。

垣添氏は「がん対策基本法」が成立した意義は大きいと語る ©文藝春秋

 特に悲痛な訴えをしたのが、進行性の大腸がん患者で、テレビカメラマンだった佐藤均さん(05年没)。地元の島根県で抗がん剤治療を受けたら猛烈な吐き気で、大変に苦しい経験をした。ところが、同じ治療を東京の専門医から受けると、がんが小さくなった上に副作用は極めて軽かった。この違いを調べると当時島根には抗がん剤の専門医はゼロだったんですね。この格差に気付いた佐藤さんは奥さんと2人で街頭に立って「がん治療の地域間格差を是正して欲しい」と署名活動を始めた。それが、全国に広がっていきました。

「がん難民」を救った基本法

 中川 当時は佐藤さんのように、よりよい医療を求めて、全国各地の医療機関をさまよい歩く患者が「がん難民」と呼ばれて、社会問題化していましたよね。

 垣添 法制化の過程では、当時民主党の議員だった山本孝史さん(70年没)のことも忘れられません。ご自身が胸腺がんで闘病中であることを明かし、参議院の本会議でも切実な思いを吐露された。そんな様々な方々の力で、06年6月になんとか全会一致で成立しました。成立時のことは今でも脳裏に鮮烈に焼き付いています。

 中川 基本法が成立した前年の春に、垣添先生が『NHKスペシャル』に出演されていたのをよく覚えていますよ。「シリーズ日本のがん医療を問う」というタイトルで、2夜連続の大特集でした。その番組で垣添先生が「緩和ケアについて、医師はもっと勉強すべきだ」とおっしゃっていて、私も緩和ケアを専門とする放射線医として、大変背中を押された気持ちでした。

 垣添 あの頃はまだ、緩和ケアを「がん医療の敗北」と捉えて、全く重視していませんでしたからね。

 中川 当時の私は、恩師の養老孟司先生とがんに関する共著『自分を生ききる』を出したばかりでした。この本で私が日本のがん医療の問題点を指摘したところ、詳しく話を聞きたいと当時与党だった公明党の勉強会に呼ばれました。そこで、「放射線治療」と「緩和ケア」、患者の診断や治療などの情報を基礎データとして集める「がん登録」の三つが、いかに重要か議員の方々にお話ししたところ、この三つがそのまま基本法の重点課題と位置付けられた。大事なタイミングで現場の課題が共有できました。

6割が「胃がん」だった時代

 垣添 あの当時は、抗がん剤の種類も限られていて、免疫チェックポイント阻害薬や分子標的薬などという選択肢がなかった時代ですね。

 中川 当時はとにかく、手術以外の治療が手薄でした。

 垣添 いまでこそ、がん治療は「手術」「薬物療法(抗がん剤)」「放射線療法」という三つの治療に加え、「免疫療法」も広がっています。ところが、基本法ができた当時はまだ、圧倒的に「がんといえば手術」「医者は外科医」と信じられていましたから。

 中川 これは当時、手術が有効な治療法だった胃がん患者が多かった影響が大きいですよね。私は1960年生まれですが、その当時の男性のがん死の約5割が胃がんでした。先生は何年のお生まれですか?

 垣添 41年です。

 中川 その年代であれば、おそらく胃がんが、がん全体の6割に達していましたよね。

 垣添 そうですね。ある東大教授は患者のリンパ節に手を当てるだけで「あなたは胃がんです」と診断して、「さすが名医だ」なんて言われていました。でも、それは当時リンパ節転移のあるがんのほとんどが胃がんだった、ということです(笑)。

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source : 文藝春秋 2026年9月号

genre : ライフ 医療