国家公務員総合職試験の合格者に占める東大生の割合は、2000年度の31.9%から、2020年度には14.5%まで低下している。若手官僚の場合、国会対応のために勤務は長時間に及ぶ。その上、雑巾掛け、つまり、地道な下積み作業が続く。こういう業務形態は、裁量ある仕事を早くから経験して起業につなげたいという今どきの野心的な若者のニーズを満たさないのだろう。
東大生の官僚離れにはいくつかの理由があると私は考えている。まず、霞が関の相対化だ。財務省を辞めようかと迷っていた2008年、転職の面接をしてくれた大手法律事務所のパートナーは、洗練されたオフィスで都会の夜景を見下ろしながら「我々は東大卒業生300人超を抱える規模となった。今後は叡智の結集として日本のシンクタンク的な役割の一端を担っていくだろう」と仰った。実際に、政府の政策資料や与党の提言書の中には、法律事務所のスタッフが中核として関わっているものもいまや多い。これ一つとっても、「霞が関でしかできない仕事」はもはや減りつつあると分かる。
また、待遇も過酷である。中小を合わせた民間企業との均衡で給与が決まるが、国家公務員内定者が仮に民間に就職するとしたら、その多くが中小でなく大企業だという人事院のデータは、同じ人が民間に就職すればより高給がもらえたろうと婉曲的に示唆する。コンサルや外資系金融に就職した同級生とは比ぶべくもない。そういう同級生とのたまの食事会はいつも私を惨めな気持ちにさせた。彼らが「ごくカジュアル」というお店は常に私の予算を超えていて、電車が動いている時間に当然のように皆タクシーに乗って帰っていった。恥ずかしくて言い出せず、「お先にどうぞ」と譲られたタクシーに「一番近くの駅で降ろしてください」と告げて、私はそこから歩いて帰った。あの日の夜風は身を切るほどに冷たく感じたのだ。
より本質的な問題は、完全性という非現実的な期待による官僚組織の疲弊である。眠い目をこすりながら作りあげた資料にわずかでも誤りがあれば確実に叩かれる。私の在職中、財務省のホームページでは「案」と括弧書きされたままの資料が公開されていた。それは正確無比を強いられた役所の必死のエクスキューズだったのだ。些末な誤りすら「間違えました」で済まされないという緊張感はさらなる長時間労働を呼ぶ。
とはいえ、「無謬性の神話」を支える役割は官僚の矜持でもあったと思う。90点取れたと褒められず、10点も落としたと非難される。逆説的には、これこそが国民の無邪気な期待の表れなのだ。国家の完全性を守護するという職務の神聖さは不眠不休の献身に値したのだろう。
だが、「上級国民」批判にも見られる昨今の風潮は、職務の領域をはるかに超え、感情を露わにすることも許さず、機械のような人格を求める。結果、公僕といえど、ときに過ちまた愚かにもなる血の通った人間だという事実は忘れ去られ、官僚組織は個の性格を失った名もなき者の集合体となる。具体的な顔を思い浮かべなくて済む集団は、体のいいサンドバッグになり果てた。政策論議を求められているのではない。ただ叩かれるためだけに野党ヒアリングに呼ばれ、糾弾されるためだけに国会招致される。
卑小な罪人のように首を垂れる
密室の中では今も与党の大物と対等に渡り合い、周到な根回しで政治家を振り付けしているのかもしれない。だが、東大生が目にするのは、卑小な罪人のように首を垂れる官僚の後ろ姿で、そこに矜持などにじまないのだ。
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