この種のエロス(愛)は、なにも芥川龍之介を待たねばならなかったわけではない。ほんとうの愛とは、その人の前では自らの感情に正直になれる心理でもあるから、同性の間に限らず、感性が共有できさえすれば、異性間でも成り立つはずだ。
森鴎外の『青年』から。
――純一の笑う顔を見る度に、なんという可哀い目附きをする男だろうと、大村は思う。それと同時に、この時ふと同性の愛ということが頭に浮んだ。人の心には底の知れない暗黒の堺がある。不断一段自分より上のものにばかり交るのを喜んでいる自分が、ふいとこの青年に逢ってから、余所の交(まじわり)を疎んじて、ここへばかり来る。不断講釈めいた談話をもっとも嫌って、そういう談話の聞き手を求めることは屑(いさぎよし)としない自分が、この青年のためには饒舌して忌むことを知らない。自分はhomosexuel(オモセクシュエル)ではない積りだが、尋常の人間にも、心のどこかにそんな萌芽が潜んでいるのではあるまいかということが、一寸頭に浮んだ――。
大村のモデルは、鴎外よりは二十三歳年下の医学者で文人でもあった、木下杢太郎とされている。これを最初に読んだ頃から私は、女という女が注目したほどの美青年の純一よりは、大村のほうが断じて魅力があると思っていた。今でも写真でよいから、木下杢太郎の若い頃の顔を見たいと思う。とはいえさすがは鴎外、この種の感性は女にも可能であることも匂わせてくれる。『ヰタ・セクスアリス』から。
――僕の左二三人目に児島(鴎外の学生時代の親友で『雁』の岡田のモデルとされる)がすわっている。彼はぼんやりしている。僕の醒覚(せいかく)前の態度と余り変っていないようだ。その前に一人の芸者がいる。締った体の権衡(けんこう)(均衡)が整っていて、顔も美しい。もし眼窩の縁を際立たせたら、西洋の絵で見るVesta(古代ローマの女祭司)のようになるだろう。初め膳を持って出て配った時から、僕の注意を惹いた女である。傍輩に小幾さんと呼ばれたのまで、僕の耳に留まったのである。その小幾が頻りに児島に話し掛けている。児島は不精々々に返詞をしている。聞くともなしに、対話が僕の耳に這入る。
「あなた何が一番お好(すき)」
「きんとんが旨い」
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source : 文藝春秋 2023年4月号