中西太、原尞、高見のっぽ、蟻田功、池田敬子

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偉大な業績を残し、世を去った5名の人生を振り返る追悼コラム

★中西太

中西太 ©時事通信社

 元西鉄ライオンズ(現・西武ライオンズ)監督の中西太(なかにしふとし)は、高校野球では「怪童」と呼ばれ、プロ野球では強打で恐れられ、引退後はコーチの巧みさで称賛された。

 1956(昭和31)年から3年連続で、西鉄ライオンズはパ・リーグで優勝し、日本シリーズでも読売ジャイアンツを撃破した。このとき三原脩監督のもとで黄金時代を支えたのが稲尾和久、豊田泰光、そして中西だった。

 33年、高松市に生まれる。父は幼いころ亡くなり、母が野菜の行商をして育ててくれた。学校の成績がよく旧制高松一中に入学するが、途中で学制が変わって高松一高となる。この間、野球部で活躍して甲子園に3回出場し、当時の三原監督に強く勧められて西鉄に入団した。

 プロ野球の1年目に打率2割8分1厘、12本塁打、65打点で新人王を獲得し、2年目にも打率3割1分4厘、36本塁打、86打点と抜群の成績をあげた。特に打球の飛距離は群を抜いていたといわれ、現役18年間に首位打者2回、ホームラン王5回、打点王を3回獲得している。三冠王になるチャンスは4回あった。

 56年、三原監督の長女と結婚して話題になる。28歳で監督兼選手を務めるが、このころから選手としての成績に陰りが見られた。プレッシャーもあったが、あまりに鋭いスイングのために手首に腱鞘炎を発症し、それが悪化したためだといわれる。

 69年、選手が八百長疑惑に関与した責任をとって西鉄の監督を辞任した後も、いくつもの球団で監督やコーチを務めた。しかし、しばしば「監督としては不適任」と評され、本人も「監督はやりたくない」と公言していた。

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source : 文藝春秋 2023年7月号

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