H3ロケット JAXA再挑戦の365日

山根 一眞 ノンフィクション作家
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「0.03秒の原因を絞り込むまではホント、辛かった」

 2024年2月16日の午後2時過ぎ、H3ロケットのプロジェクトマネージャ、岡田匡史(まさし)さん(61)は種子島宇宙センターの大型ロケット組立棟にいた。一般のビルなら22階に相当する高さ81メートルの巨大建屋だ。延床面積約2万坪(幅64メートル、奥行き34.5メートル)のここは、いわばロケットの格納庫で、H3ロケット試験機2号機が翌日の打ち上げを待っていた(註・宇宙航空研究開発機構、JAXAはマネージャーの役職を「マネージャ」と表記)。

 薄黄色の円筒ボディに「JAPAN」の文字が描かれたロケットは高さ約57メートル、直径約5.2メートル、日本の宇宙開発史上最大のロケットだが、目的に合わせた、より大きなモデルも準備中だ。

 岡田さんは組立棟内の階段の最上部、13階に上り、一段一段を踏みしめるように降りながらH3の最上部から下までを見届けた。不具合をチェックしたのではない。準備は万全という自信がある。

「頑張れよという思いで見たんです。三菱重工さん、川崎重工さん、設備運用のコスモテックさんなどのオペレーターさんたちとすれ違いましたが、皆さん、やりきった感がすごかった。清々しいまでの力強さ。これは大丈夫だと確信しました」

岡田匡史氏(筆者撮影)

 午後3時、H3は約30分かけて500メートル離れた発射台へと移動した。その1時間後、雲が切れ発射台に夕陽が射し、避雷鉄塔のトラス構造の影がロケット本体に投影された。私はこんな装いのロケットを見るのは初めてだ。H3の打ち上げはおよそ18時間後だが、打ち上げから2時間を待たずして燃え尽きる。H3は地上で浴びる最後の陽光を存分に味わっているかのようだった。

 JAXA種子島宇宙センターは鹿児島市の南東約140キロ、種子島の南端、人口約5300人の南種子(みなみたね)町の南岸沿いにある。面積970万平方メートル(約300万坪)、海岸には白砂が続き世界で最も美しいロケット打ち上げ場と言われる。

 この日、発射台から約4キロ南西の、宝満様の社(宝満神社、南種子町茎永〔くきなが〕)を訪ねたが、神社由来の宝満の池には越冬中の数百羽のカモがいた。神殿には「打上成功祈願」の熨斗紙を巻いた一升瓶がいくつもお供えしてあり、IHIエアロスペースなどの名が垣間見えた。岡田さんもプライベートで数日前に参拝している。亜熱帯林に囲まれた参道には朱色の献灯が連なっており献灯者の名が読めた。三菱重工業、川崎重工、九電工、鹿島建設、沖電気、宇宙技術開発、三菱電機、コスモテック……。宇宙関連企業のロケット打ち上げ成功に寄せる熱い思いを物語っている。

世界に取り残されないためのH3

 正午頃、少し白髪が交じる男性が参拝に訪れた。10年にわたりJAXAの岡田さんと二人三脚でH3に取り組んできた三菱重工の新津真行さん(59・宇宙事業部、プロジェクトマネージャー)だ。神武天皇の母、玉依姫を祀る宝満神社は子宝に恵まれるというご利益がある。新津さんは、機体移動を前にH3という子が無事に産声をあげてくれるようにと手を合わせたのである。

 H3ロケットは、H-Ⅱロケット(1994年初号機)、H-ⅡAロケット(2001年初号機)に続く3代目の国産大型ロケットだ。

 岡田さんは2003年に新型ロケットの概念設計チーム課長として作業を開始したが、この年は航空宇宙3機関が統合されてJAXAが発足、新型ロケットは新生JAXAの目玉計画だった。だが同年の、H-ⅡA6号機失敗の余波で計画は頓挫。やっと計画が復活した2014年、岡田さんはプロジェクトマネージャに就任。新津さんは同年からH3担当だ(プロジェクトマネージャー就任は2022年度)。

 ロケットは顧客の荷物(衛星など)を宇宙空間の配送先(軌道)にピタリと届ける「運送屋」だ。第2世代のH-ⅡAは今年の1月12日の48号機までの打ち上げ成功率が97.9パーセントに達し、最も信頼性のあるロケットと評価されている。だが世界の衛星打ち上げ需要は急拡大、より多くのロケットを短い期間に連続で、確実に、低コストで打ち上げなければ日本の宇宙競争力は先細りになる。もはや、H-ⅡAではその需要に対応できない。

 H3の初期計画書(2015年)では、日本のH-ⅡAの課題をいくつもあげている。衛星の大型化による打ち上げ能力の不足、国際的な価格競争の中での競争力の低下、宇宙開発予算の圧迫による設備の老朽化、開発機会の不足による技術者の離散や技術力低下、そして打ち上げ機数の不足による宇宙関連企業の撤退と産業力の低下……。

 今、宇宙産業は驚異的な成長を遂げており、ブルームバーグは2024年1月「控えめな数字でも宇宙産業全体の規模は今後10年で1兆ドル(約150兆円)に達する」という宇宙技術会社トップの発言を伝えた。日本の国家予算(2023年度)の1.3倍だ。

 H3計画は「日本が世界の宇宙時代に取り残されない」ための危機感を担っているのである。

 この目的を満たすためにはロケットの大型化が必須のため、H-ⅡAの第一段エンジンLE-7Aの推力を1.4倍に増強した新エンジン、LE-9の開発が始まった。また、国際競争力の実現にはコスト低減が不可欠ゆえ、H3は、H-ⅡAの打ち上げ費用およそ100億円の半分、50億円が目標だ。それは、価格500万円のレクサスのパワーを1.4倍に増強したモデルを250万円で販売するような話だ。H3はトヨタのトップなら腰を抜かすほど無謀な目標を掲げたことになる。

燃料はマイナス200度

 4年前の2020年2月13日、私は、白神山地が広がる青森県との県境に近い秋田県の山間部にある三菱重工の田代ロケット燃料燃焼試験場(大館市岩瀬)を訪れた。

 ここは、実際の打ち上げと同じ条件でロケットエンジンの燃焼テストをする場だが、凄まじい轟音が出るため、1976年、山深いここに試験場を開設したのである。この日は3基のLE-9エンジンの同時燃焼という初挑戦だった。「ジャンボジェット機のエンジン15基分のパワー」という轟音が38.1秒続いたが、岡田さんと新津さんが笑顔で「成功しました」と握手を交わした姿が忘れられない。

 日本の大型ロケットエンジンの燃料は液体水素なので、空気がない宇宙で燃焼させるため液体酸素を混合し、大爆発させて推力を得る。液体水素はマイナス253度、液体酸素はマイナス183度という極低温だが、エンジンの壁一枚の反対側は3000度の超高温になる。ロケットエンジンはなんとも過酷なマシンなのだ。

 それを物語るかのように、その3カ月後、種子島宇宙センターでの燃焼試験では、エンジンの燃焼室内壁にごく小さな亀裂が生じ、液体水素をエンジンに噴射する駆動源、ターボポンプの羽根車にも亀裂が見つかった。このまま打ち上げればエンジンが大爆発するおそれがある。エンジンの設計見直しが必要となり初打ち上げは「2021年度末まで」と約1年延期された。

 H3ロケットのLE-9エンジンは、H-Ⅱ、H-ⅡAロケットで経験を積んできたLE-7、LE-7Aエンジンとは異なる仕組みが採用された。大量の液体水素と液体酸素を燃焼室に送り込み燃焼させるには燃料ポンプを高速回転させる必要があるが、その機構は複雑で、トラブルのリスクやコストの増大に繋がっていた。そこでLE-9エンジンではタービン駆動をスッキリした構造にした(エキスパンダーブリード)。

名古屋発「金属3Dプリンター」

 H3は、コスト削減のため自動車用など民生部品を多く採用。エンジン周りの配管、バルブ、噴射器、燃焼室などの部品を「金属3Dプリンター」で作ることで部品数削減を目指している。金属3Dプリンターはインクではなく金属粉を重ね造形することで、図面通りの部品を作ることが可能だ。

 その原理は1980年、名古屋市工業研究所に勤務していた小玉秀男さん(名古屋大学大学院修了の技術士)の発明だ。LE-9エンジンの製造は三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所で進めてきたが、名古屋で誕生した3Dプリンター技術が名古屋で製造する新ロケットエンジンで活かされるのだ。3Dプリンターで製造した部品を使ったエンジンを何号機から搭載するかは未定だが。

 LE-9エンジンは書き尽くせないほどの問題に直面してきたが、「2022年度中に打ち上げ」と発表。一方、2022年1月23日、三菱重工・飛島工場は種子島へ出荷する直前のH3を報道公開した。打ち上げ時質量420トン、増強型なら大型バスを宇宙に届けることすらできるH3の巨大なロケット本体に手で触れて、私は感無量だった。

 打ち上げ日程の発表を待っていたが、またもやトラブルが発覚した。先に問題が起こった液体水素ターボポンプの設計変更を行ったところ、別の振動問題が出たのだ。この対策を終えやっとやっと、2023年2月17日、H3ロケット試験機1号機は打ち上げの日を迎えた。

 ところが、LE-9エンジンは着火したがロケット本体脇に装着してある2本の補助ロケットブースター(SRB)は点火せずロケットは発射台に居座ったままで打ち上げは中止。原因はSRBに点火の電気信号が送られなかったことだと判明。後にそれは、異常電流を遮断する半導体スイッチ(いわばヒューズ)が作動したためとわかり改修が行われた。

「居座り」から18日後の3月7日、10時37分55秒、H3ロケット試験機1号機はやっと白煙をあげて旅立った。

 岡田さんはこう振り返る。

「心配だったLE-9エンジンは順調に燃焼を続け、燃焼停止まで完璧。管制室ではロケットから送られてくるエンジンの完璧なデータを見ながら、喜びを分かち合っていました」

「まさか二段で問題?」「なぜ?」

 第一段ロケットの燃焼終了後、第二段ロケットが分離、第二段ロケットのLE-5B-3エンジンが点火、地球観測衛星「だいち3号」を所定の軌道に届ける段取りだったが……。

「第二段ロケットは分離の7秒後にエンジンに着火するはずが、『燃焼圧』が立たないとの報告。まさか! 燃焼が始まらないのは、何かがどこかで引っかかっているだけで、じきに立ち上がってほしいと祈る思いでしたが、管制室内に流れた『指令破壊信号を送信しました』というアナウンスでトドメを刺されました」

 種子島宇宙センターには、打ち上げの発射管制室とは別に安全のための管制室がある。ロケットが想定と異なる軌道を描き陸上に墜落すれば被害が出るおそれがある。そのため安全担当の管制者は独自の判断で指令破壊(自爆)の信号を送ったのだ。

「私も発射管制室にいたエンジニアたちも皆一様に、首が後ろに倒れました。あの動作、人が大きく失望した時の本能なんでしょうね」

 新津さんは、こう語っている。

「何かあるとすれば第一段だと思っていました。最初のトライではSRBに火がつかなかったので、SRBに火がつき射点から問題なく上がり、エンジンがちゃんと燃焼してくれて、これはやったと思ったんですが、まさか二段で問題、なぜ、と時間が止まったように思えました」

 18日前の打ち上げ中止では、ロケット現物を調べ原因解明と対策ができた。だが指令破壊した1号機の二段はフィリピン近海の深海に沈んでいるはずで、現物を見ながらのトラブル解明はできない。もっとも、かつて指令破壊したH-Ⅱ8号機(1999年11月)では、「海底からエンジンを拾い上げよう!」との英断によって、小笠原の深海からの引き上げに成功。エンジンの想定外の問題点がわかり、後の打ち上げ成功率を高めることにつながった。岡田さんは当時、JAXAの前身、NASDA(宇宙開発事業団)の若手エンジニアとして、その事故を担当していたという。

 データの分析、シミュレーション、実験を繰り返したが、原因解明は困難をきわめた。

「ロケットから届いていたデータをもとに、異常発生の0.03秒の間に何が起こったかを見出さなくてはならなかったんです。電気の専門家にも加わってもらい原因を絞り込むまでの日々は、ホント、辛かった」

 考えられる原因を三つに絞り込めたのは8月に入ってからだった。

 車のエンジンはプラグの火花でガソリンに着火するが、ロケットのエンジンも同じでエキサイターと呼ぶ装置からの数千ボルトの高圧電流による火花をパチパチパチと数秒間飛ばし着火している。そのエキサイターは、長さわずか10センチほどの円筒型だが、ここに仕込んだトランジスタに流す電気が定格を超えていたことが第一の原因と推定された。

 第二は、小さなケースに詰め込んだ部品が振動で周囲の部品やケース内壁に接触したり配線コードの被覆の一部が振動によって剥がれショートした可能性だ。この部品は、H-Ⅰロケットの二段、LE-5エンジンに搭載して以降、200回以上使ってきたがトラブルは1回もなかったが、第三の可能性としてH3固有に開発した機器内部に想定外の電流が流れたことも疑われた。そこでこれら3点の対策を行い、H3ロケット試験機2号機は今年2月15日を「Return To Flight」とすると発表した。

「ロケットの神様」と対面

 数えきれないほどの壁に直面し、しかも1号機を失いながらも数百人におよぶチームを𠮟咤激励し続けていた岡田さんを、密かに見守っている人がいた。1994年、日本初の国産H-Ⅱロケットを実現し、ロケットの神様と呼ばれる五代富文さんだ(91・元NASDA副理事長)。

 昨年の秋、私は10年ぶりに五代さんから連絡をいただき、再会。そして五代さんに、H3ロケットの開発でもがくような日々を送ってきた岡田さんに会ってあげてほしいと伝えたところ「超高齢者ですが」と快諾していただいた。岡田さんからも、「五代さんは私がNASDAに入った当時、神様のような存在でした、ぜひ対談を」との回答が得られた。H-Ⅱは大型ロケットの原点で、H3はその遺伝子を礎に作りあげた3世代目のロケットだ。

 その30年前と今の両プロジェクトマネージャの奇跡のような対談は、H3試験機2号機打ち上げの1カ月前に実現した。

     *

 岡田 非常に苦労しましたが、H3は2号機の打ち上げが間近です。H3の完成までには10年もかかってしまいました。

 五代 私が手掛けたH-Ⅱも10年かかったんですよ。大型ロケットを創るチャレンジングな機会は人生で滅多に出会えることではない。多くの難問、大変な苦労があったでしょうが、間もなくその苦労が大きな喜びとなることを確信しています。

 岡田 H3ロケットが担っている課題、使命はとても大きいです。

 五代 H3の設計や基本構成は、H-Ⅱ、H-ⅡA時代と類似のコンフィギュレーション(成り立ち)で発展してきました。またこの30年、いくつもの事故原因の究明を通して改良がなされ、H-ⅡAは国際的に高い信頼性を得ました。この流れはH3でより確実なものになりますよ。

 岡田 H3は何度も打ち上げを延期、1号機は指令破壊されたにもかかわらず、国民皆さんの応援は大きくありがたいことと思っています。

 五代 私は大型ロケットを手がける前にNASA(米航空宇宙局)でアポロ計画にオブザーバーとして入り込んでいました。そこで見たのは、60年代末までに人類を月に送り届けるため国の総力をあげている姿でした。その体験から「国の総力をあげれば」困難な目標も達成できるという思いで立ち上げたのがH-Ⅱロケットだったんです。

 岡田 五代さんのH-Ⅱの時はどんな応援を受けていましたか?

 五代 宇宙に造詣が深く国産大型ロケットH-Ⅱの意義を理解していた評論家の立花隆さんが、その任にあたってくれたんです。立花さんはLE-7エンジンの連続不具合の頃から関心を持ち続けてくれ、1号機の打ち上げ時にはNHKの解説者として私たちを激励してくれました。

民間企業の最新技術を積んで

 H3ロケット試験機2号機は1号機で大型衛星を失っているため、大型衛星の搭載なしの「試験飛行」となった。もっとも大型衛星を軌道に正確に届けられるかを確認するため、大型衛星と同じ重量、2.6トンで長さ3.5メートルの巨大ボルトのような模擬荷物(VEP-4)を載せることになった。

 また、民間企業などに小型衛星の相乗りを募集。選ばれた一機はキヤノン電子が開発した「CE-SAT-ⅠE」(70キログラム)でデジタル一眼カメラ「EOS-R5」などを搭載。カメラメーカーならではの意欲的な取り組みのミニ衛星だ。

 もう一機は宇宙システム開発利用推進機構や、福井県を代表する繊維企業、セーレンなど3機関1企業を中心に開発された「TIRSAT」だ。サイズは12×12×38センチと超ミニサイズだが、経産省の旗振りで開発した熱赤外カメラなどを搭載。温度を手がかりに工場が稼働中か否かを推定、経済活動のモニタリングに活用するのが目的だ。

 衛星からのデータ受信などは東京電機大学、福井大学、福井工業大学などが協力。セーレンの人工衛星グループ主査、横溝正人さん(58)は長年の衛星軌道技術を誇る富士通からの転職で、グループ長の中村博一さん(48)は元シャープの複合機技術者だ。国産ロケットが大学や民間の宇宙開発力、技術者の醸成役になることを物語っている。

振動で緩まないねじ

 ロケットには100万点におよぶ部品が使われていると言われ、ロケットビジネスの拡大は、ものづくりの中小企業、町工場の活性化にもつながる。H3発射台が望める10キロ南西の門倉岬は、ポルトガル人が鉄砲を伝来した難破船の漂着地だ。

 1543年、種子島に伝来した鉄砲は、種子島の鍛冶職人によって複製され、鉄砲は短年月で全国に広がり、その保有数が戦国時代の権勢を大きく左右した。その鉄砲製造で最も苦労したのが銃身の後部の「尾栓ねじ」だったが、ポルトガル人からその技術を学び体得。これが日本のねじ製造の嚆矢となった。

 その門倉岬から見えるH3ロケットには、「振動で緩まないねじ」が使われている(ヤマザキアクティブ製・長野県坂城町)。山﨑忠承社長が「柔軟性のあるねじなら緩まないはず」との発想で開発。三菱重工はその「緩まないねじ」のナットと座金をH-ⅡAロケットから採用。H3ロケットの岡田さんからは同社に感謝の電話もあったという。「ねじ伝来」から480年、最先端ねじが宇宙へと向かうのである。

 発射台から3キロ北の恵美之江展望公園は人気ポイントで、入場は抽選。南種子町役場の稲子秀典さんによれば競争率は7倍だった。ここには眺望のよい高台の見物場所があるが、高額の「ふるさと納税者優待席」だった。

 打ち上げは天候不順で2日遅れとなったため、2号機打ち上げは昨年の1号機と同じ2月17日になった。365日目に迎えた再挑戦の朝、少し雲があったが打ち上げ時間が近づくにつれ空は晴れ上がってくれた。

「あと5分」。数百人のギャラリーはシンとして3キロ先の一点を見つめる。「待ちに待った時」とは、こういう時のことなのだと思う。

 午前9時22分55秒。H3はまばゆい閃光を放ち、大きな白煙をあげて上昇を開始した。光速より音速は遅いため8秒後、凄まじい轟音が届き、その音圧で大型の三脚がぶるぶると揺れた。H3は全天を揺るがす轟音とともに白煙の尾を青空に引きながら大気圏外へと消えていった。

H3ロケット打ち上げ(筆者撮影)

 5分15秒後、1年前、指令破壊の原因となった第2エンジンは想定通りに燃焼を開始、「CE-SAT-ⅠE」、「TIRSAT」、そして1時間48分14秒後に高度676キロで模擬衛星「VEP-4」を分離。その届け先の高度誤差は驚異的な精度、1キロ以内だった。

 H3が完璧に使命を果たした瞬間、管制室の岡田さんはエンジニアたちと抱き合った。

 午後0時半に始まった会見で岡田さんは開口一番、「皆さん本当にお待たせいたしました。ようやくH3がオギャーと産声を上げることができました」と満面の笑みで語った。その第一声を宝満神社の玉依姫も微笑みながら聞いたに違いない。岡田さんと新津さんは笑顔でお互いを何度も見つめあい、恋人同士のようだった。

「平常心」を背に

 会見終了直後、私に届いた最初のメールは五代富文さんからだった。

「H3をYouTubeで見ました。本当に良かったですね。山根さんと種子島で体験したH-Ⅱロケット初号機の打ち上げから30年と2週間目でした。岡田さんによろしくお伝えください」

 打ち上げから3日後、岡田さんはこう語った。

「神様の最後の審判を受けるところまでやったつもりでいたので、打ち上げの日は天命を待つ感がありました。1号機もベストを尽くしましたが、初めてのことだらけによるざわつき感がちょっとありました。しかし2号機は1年間をいただきチームの誰もが確信を持つためできる限界までやったので、あとは確率の世界だなと。管制室では壁に掲げてある『平常心』と揮毫された布を背に心を落ちつかせていました。その『平常心』の布は五代さんが掲げたもので、30年間、誰も触れることすらできなかった神様的存在なんです」

 新津さんもこう語った。

「LE-9エンジンは、最初に課題が発生した燃焼試験以降、新たな試験を行うたびに問題が発生していました。一体あとどれだけの時間をかけて何をやれば打ち上げられるのかと暗闇の中を歩いているような状態で、何をしていても心が落ち着かない日々でした。しかし、いっしょに取り組む仲間がいたことが非常に大きな心の支えでした。三菱重工、JAXA、IHIで議論を重ね、総力戦だと社内の宇宙分野以外の、ガスタービンの専門家も入れたチームで技術論を戦わせ、納得のいく答えを得ることができました」

山根一眞氏 

 一つの成功は10の進化をもたらすが、一つの失敗は100の進化をもたらす――。30年にわたってロケット開発の取材を続けている間に、私はそう確信するようになった。その言葉がまた脳裏に甦った。

これからが勝負

 もっともH3はこれからが正念場だ。打ち上げ成功の会見で、岡田さんが「今だけ言うことを許していただきたいんですが、肩の荷がおりた気持ちです」と発言したのは、まだ多くの課題という「荷」があるからだ。JAXAの理事長、山川宏さんが、「打ち上げ数を増やすため種子島の施設拡充を進めています」と語ったのもその一つだ。

 当初計画より打ち上げが4年近く遅れた一方で、世界の宇宙ビジネスはバブルかと思うほど拡大している。今後、H3の打ち上げは三菱重工に移管、衛星顧客誘致の営業も同社が担うが、H3成功はその厳しい競争の始まりでもある。

 三菱重工執行役員で防衛・宇宙セグメント長の江口雅之さんは、こう見通しを明かした。

「10号機から15号機の段階で競争力が出る形に持っていきたい。円安の追い風も受けH3を国際的な競争力のある製品にする」

 打ち上げから数分後、まだH3の煙が漂う発射台に大量の鳥が飛来し乱舞した。宝満の池から飛来したカモだという。カモは玉依姫の命を受け、H3の成功を祝い、これからの道を先導しているように思えた。

山根氏のYouTubeチャンネルでは「H3ロケット2号機打ち上げ 大轟音で体感(20240217・山根一眞)」などを公開しています。H3打ち上げの時の「大轟音」を体感する事が出来ます。

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source : 文藝春秋 2024年4月号

genre : ニュース 社会 企業 テクノロジー