参院選の当選者は蓋を開けてみたら2人だけだった。「思ったより票が増えなかったな」というのが正直な感想です。俳優だった私がなぜ本気で総理を狙うのか、お話したいと思います。
なぜ政治の道に進んだのか
「衆院選を狙うために、わざと落ちた」とも言われますが、そんな器用なことはできません。本気で当選するつもりでした。民間に依頼して、2月と6月に「新党を立ち上げて山本が比例に回ったら投票するか」を調査していたんです。山本太郎の名前でおそらく200万票は取れる、という結果だった。200万票は確実なのだから、特定枠を重度障害者の2人に譲り、そこから運動量を増やせば、2人3人と新たに国会へ送れるんじゃないか、と考えたんです。
でも、蓋を開けてみたら当選者は2人だけだった。(比例代表で)228万票という票数も事前の予測通り。低投票率も伴い、思ったより票が増えなかったな、というのが正直な感想なんです。私は落選して、事務所も住まいも失ってしまいました。
1974年、兵庫県生まれの山本氏は90年、高校1年生の時に「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)の人気コーナー「ダンス甲子園」に出演し、一躍注目を浴びた。以降、映画やドラマなど数々の作品で俳優として活躍。そんな山本氏がなぜ政治の道に進むことになったのか。
もともと全く政治に関心がなかったわけではありません。中学高校の頃は、日本も国を守るために核兵器を持つべきだと思っていました。深い理解もなく、漠然と、ですけど。
ただあの頃、学校の勉強が将来に役立つということが全然イメージできず、代わりに、雑誌の『ニューズウィーク』とかを斜め読みしていたんです。今も覚えているのが、中学の公民の試験で「核兵器の保有国を挙げろ」という問題が出て、「パキスタン」と書いたら、バツにされたんですね。教科書的には間違いかもしれませんが、核の特集をした『ニューズウィーク』のバックナンバーを探し出して、「パキスタンにもあるじゃないか」と先生に言ったら、マルになったという記憶があります。
優生思想的な考えだった
若いからエネルギーだけは有り余っていて、その放出場所を探していたのかもしれません。「ダンス甲子園」もたまたまテレビで観て、「あの程度なら、自分もできる」と思って応募したんです。それが話題になって、16歳で芸能界に入って。縁あって映画に出てからは役者の仕事に必死でした。自分はずっと半人前だと思っていましたから。演技に納得行くのは死ぬ間際なんだろうなって。
30歳を超えてからですかね……サーフィンを始めて、自然保護とかに目が行くようになったんです。海岸線に作った堤防の影響で潮の流れが変わったり、生態系に悪影響が出ていると知りました。だけど、なかなか声は上げられなかった。役者としての価値を高めるには、ちゃんと単価の高いCMの仕事にも選ばれるようにしないといけない。変に声を上げて、スポンサーとぶつかるわけにはいかなかったんです。
でも、この頃から「グリーンピース」や「国境なき医師団」に個人的には寄付したりしていました。どっちの団体ももともとは母親が存在を教えてくれた。「こういう人たちがいる。自分で活動を確かめてみな」と言われて、寄付を始めたんです。
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source : 文藝春秋 2019年10月号