AIは死なない

古風堂々 第1回

藤原 正彦 作家・数学者
ライフ 社会

 将棋が得意だった私は、大学一年生の秋に学内将棋大会で準優勝した。自信を持った私は腕試しに千駄ヶ谷の将棋会館を訪れた。係に二段と告げたら小学校四年生くらいの男の子との対局を指示された。「ムッ」とした。坊ちゃん刈りは慣れた手つきで箱から駒を五枚取り出すと、「それでは振らせていただきます」と言った。先手を決めるということで対等の勝負ということだ。ますます「ムッ」とした。駒を並べた後、坊ちゃん刈りが深々と頭を下げた。とことん「ムッ」とした。一気に潰そうとしたら反撃され木端微塵にやられた。プロの卵だった。

 子供にひねられる程度の才能、と大好きだった将棋に見切りをつけた。好きな碁とマージャンも断ち数学への邁進を決意した。ついでに女も断った。最後のものについては頓珍漢な女房が「モテなかっただけでしょ」と言う。

 頭脳ゲームから離れていた一九九五年、ケンブリッジ大学での同僚からメールが届いた。「正彦の教えていたクイーンズ・コレッジにデミス・ハサビスという十九歳の学生がいる。十三歳でチェスのマスターとなった神童で、十七歳の時にはテーマパークというゲームソフトを開発し億万長者となった。現在数学と碁における私の弟子だが、近々東京に行くから会ってくれないか」。

 Tシャツにジーンズの小柄なハサビスは、いたずらっ子のような風貌でお茶大の研究室に現れた。「ゲームソフトで才能を発揮したのになぜ大学で数学やコンピュータ科学を」「学問を深めて大きな仕事をしたい」「大きな仕事」「実は世界最強プロを負かす囲碁ソフトを作りたい」。

 将棋ソフトなら、研究の進まない時のウサ晴らしに、世界最強というふれこみのものを時折コテンパンにやっつけていたから、弱さを知っていた。将棋でもそのレベルだから桁違いに複雑な囲碁では絶望的、と思ったが教師の役割は学生を励ますことだ。「きわめて難しい。でも野心的で面白い。将棋の谷川名人は、ほとんどの局面で一手しか頭に浮かばない、と言った。別の対談では米長名人がこうまで言ったよ、百手のうち九十五手は五秒以内に浮かんだ一手で、二手浮かぶ者は名人になれない、とね。五秒以内ということは論理的思考のはずがないから感覚的なものに違いない」。ハサビスは目を輝かせて聞いていた。私は「脳の機能を研究してみては。数学では類推が最重要のことを考えると、類推の仕組みの研究とかね」と、いい加減なことを付け加えた。

 ハサビスはケンブリッジを最優等で卒業し、数年間AI企業で働いてから、脳を学びにロンドン大学の大学院に入学した。画期的論文を書いた後、数年間の学究生活にピリオドを打ちAI関連の会社を作った。そして二〇一六年、彼が深層学習(AIに人間の脳のように自己学習や類推をさせること)の手法により作ったアルファ碁というソフトは、世界最強プロを破った。

 チェス、将棋、囲碁のすべてでAIが人類を超えたことや深層学習の威力などを見て、野村総研やグーグルやオックスフォード大の研究者などは、今後十年から二十年で現在の仕事の大半がAIにとって代わられる、とセンセーショナルな報告を出した。

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source : 文藝春秋 2019年6月号

genre : ライフ 社会